断層名 関ヶ原断層(概説) せきがはらだんそう
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場所 関ヶ原町丸山
概要    養老山地の北端にある南宮山(なんぐうさん)の北麓から西へ向かい、関ヶ原を経て、西北西へ滋賀県長浜市へと向かって全長約30kmにわたり延びる。全体としてその北側が上昇するとともに西にずれる左横ずれ運動を起こし、とりわけ関ヶ原古戦場にあたる地域ではほぼ並列する2~3本の断層が作り出した断層地形が各所でみられる。山麓に延びるいくつかの尾根を横切り、それらをずらすことで南側の峰が東へ移動して、北からの谷筋を塞ぐような位置にずれている。秋葉神社、丸山烽火(のろし)場、北野神社それぞれを山頂に載せる三つの小丘は、断層により尾根から切り離された閉塞丘(分離丘陵)である。これらのほかにも断層鞍部が各所にあり、明確な断層地形の存在は活動度の比較的高い活断層であることをうかがわせる。大きく見ると関ヶ原断層は福井県の敦賀湾付近から延びてくる柳ヶ瀬断層と南へ延びていく養老断層との間をつなぐように分布し、日本海から太平洋まで列島を横断する大規模な活断層の一翼を担っていることになる。
ジオ点描    天下分け目の“関ヶ原の戦”は関ヶ原断層の断層地形を背景として日本中を巻き込んで行われた。合戦の場となった関ヶ原の低地は、現代では東海道新幹線、東海道本線、名神高速道路、国道21号、国道365号といった日本の大動脈が通る場所となっている。今後、こうした場所で関ヶ原断層が活動するようなことになると、ここだけでなく日本中を巻き込んだ甚大な被害がもたらされることを想定しておく必要かある。
文献
  • 吉岡敏和・佐護浩一・山根  博(2011)柳ヶ瀬-養老断層系、鍛冶屋、関ヶ原および宮代断層の古地震調査.活断層・古地震研究報告,11号,177-195頁.
  • 写真 関ヶ原古戦場において左手前の笹尾山(石田三成陣地)の裏側から右手のぼり旗(決戦地石碑)奥の建物の裏側へ向かって関ヶ原断層が走る
    (撮影:小井土由光)
    写真 関ヶ原古戦場の丸山烽火場・北野神社付近における関ヶ原断層の断層鞍部(矢印方向に断層が通る)
    (撮影:奥村 潔)
    養老断層
    濃尾平野から西方を望むと、養老山地が南北方向に延び、その東側斜面が壁のように立ちはだかり、ほぼ直線的な境界で濃尾平野と接している。その境界に沿って約40kmにわたり養老断層が延びている。養老山地から濃尾平野を経て東方の猿投(さなげ)山地に至る地形上の単位は「濃尾傾動地塊」と呼ばれ、東側が緩やかに上昇し、濃尾平野が沈降していく濃尾傾動運動で作られたものである。沈降していく濃尾平野と上昇していく養老山地との間に養老断層があり、その上下移動量は数百万年前から現在までに2,000m以上に達していると考えられている。沈降していく濃尾平野には木曽三川が運び込んだ大量の土砂が堆積しているから、その2/3ほどは埋められており、実際の養老山地東側の斜面では1/3ほどだけが断層崖として顔をのぞかせていることになる。




    地質年代