断層名 温見断層(概説) ぬくみだんそう
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場所 -
概要    根尾谷断層系の最北部にあり、福井県大野市野尻付近から南東へ向かい、県境の温見峠を通り、本巣市根尾大河原、猫峠を経て、根尾越波(おっぱ)へと全長約39kmにわたり延びる。そのほぼ真ん中にあたる温見峠付近をおおよその境にして福井県側の北西側半分と岐阜県側の南東側半分でその活動の様子がかなり異なる。福井県側では左横ずれ断層として尾根や河谷を明確にずらしているが、岐阜県側では断層鞍部はあるものの、横ずれの痕跡はみられない。1891(明24)年に濃尾地震を起こした際に大地のずれなどの変位が表れたのは福井県側だけであり、温見川沿いで最大約3mの左横ずれと約1.8mの北東側隆起があり、流路が変えられたとされている。2000(平12)年に福井県側の温見で行われたトレンチ調査によれば、過去3回の活動が確認され、平均的な活動間隔は2,300年~2,500年とされている。ただし、これらの活動状況が根尾谷断層のそれと一致しているわけではなく、両断層が必ずしも同時に活動しているわけではない。
ジオ点描    同じ系統の1本の長く延びた断層がどこでもすべて同じ挙動をするとは限らない。挙動が変化したようにみえてもその変換点がわかるわけではない。それが県境付近であったとしても、行政区分はまったく無関係であり単なる偶然に過ぎない。もともと別の系統の断層が見かけ上1本の断層のように延びて見えているのかもしれないし、たとえ同時に動いたものであっても、大まかな違い程度のことしかわからない。
文献
  • 吉岡敏和・栗田泰夫・下川浩一・石本裕己・吉村実義・松浦一樹(2001)濃尾地震断層系・温見断層の活動履歴調査.活断層・古地震研究報告,1号,97-105頁.
  • 写真 温見断層が通ると考えられている温見峠
    (撮影:鹿野勘次)
    写真 準備中
    根尾谷断層系
    「根尾谷断層系」は、全長約80kmにもおよぶ長大な活断層群の総称であり、何本もの活断層で構成された長大な活断層帯を形成している。それらのうち、岐阜・福井県境の能郷(のうご)白山(標高1617m)付近から根尾川沿いに南下して岐阜市北端部へ至る、おおよそ1本の断層線で示される活断層を「根尾谷断層」と呼ぶ。根尾谷断層系の活断層にほぼ沿って1891(明24)年に動いた地震断層群の総称を「濃尾地震断層系」と呼び、そのうちの1本として根尾谷断層も動き「根尾谷地震断層」を形成した。根尾谷断層系は、何回も活動を繰り返してきた中でとりあえず最後の大きな活動として濃尾地震断層系を形成し、そのときの震動が濃尾地震である。根尾谷断層系を構成する各活断層は今後も活動し続けるはずであり、決して最後ではないから、濃尾地震断層系は“とりあえず最後の活動”となる。
    濃尾地震
    濃尾地震は根尾谷断層系の温見(ぬくみ)断層、根尾谷断層、梅原断層などが同時に動いたことで発生し、活断層型(直下型)地震としては国内で最大級の規模をもつ地震である。明治時代に入ってから起こったこともあり、大地に現れた地震断層ばかりでなく、被害の状況も詳細な記録として残されている。この地震により、美濃地方で死者4,889人、負傷者12,311人、全壊70,048戸、半壊30,994戸という被害がもたらされた。全国規模でも、死者7,273人という多大な被害を受けたばかりでなく、当時としての先端技術であった鉄道や煉瓦作りの建物に甚大な被害を受けたことで、富国強兵に邁進していた明治政府にとって大きな打撃となった。この災害を契機として耐震構造への関心が強まり、その研究が大きく進展していったり、この地震後に震災予防調査会が設置され、日本における本格的な地震研究がスタートした。
    根尾谷断層
    根尾谷断層は、全長約80kmにわたり複数の活断層群からなる根尾谷断層系のうち、岐阜・福井県境にある能郷(のうご)白山(標高1617m)付近からほぼ根尾川沿いに南下し、岐阜市北端部に至る約35kmの長さをもつ活断層である。全体として左横ずれ変位が卓越し、北東側が沈下する縦ずれ変位をともなう運動を起こしている。根尾谷断層系のほぼ中央において比較的活発に動いてきた断層であることもあり、しばしば「根尾谷断層系」とまったく同義に使われて混乱を招いており、厳密には明確に区別して扱う必要がある。1891(明24)年にとりあえず最後の活動を起こして濃尾地震をもたらし、その際に形成された地表の変位を「根尾谷地震断層」と呼び、その代表例が国の特別天然記念物に指定されている通称「水鳥(みどり)の断層崖」である。これも単に“根尾谷断層”と呼ばれることが多く、日本地質学会もここを“根尾谷断層”として「日本の地質百選」に選定している。


    地質年代