断層名 根尾谷断層系と濃尾地震断層系(概説) ねおだにだんそうけいと
のうびじしんだんそうけい
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場所 -
概要    福井県大野市野尻付近から可児市帷子(かたびら)付近までの全長約80kmにもおよぶ長大な活断層群の総称を「根尾谷断層系」と呼び、北西~南東方向に延びる何本もの活断層で構成された長大な活断層帯を形成している。それらのうち岐阜・福井県境の能郷(のうご)白山(標高1,617m)付近から根尾川沿いに南下して岐阜市北端部へ至る活断層が根尾谷断層である。根尾谷断層系の活断層にほぼ沿って1891(明24)年に動いて濃尾地震を起こした地震断層群の総称を「濃尾地震断層系」と呼ぶ。そのうちの1本として根尾谷断層も動いて根尾谷地震断層を形成し、水鳥(みどり)の断層崖などを形成した。
ジオ点描    根尾谷断層系の活動はおおよそ100万年前から始まったとされており、今日まで繰り返し何回も活動を続けてきた中でとりあえず最後の大きな活動として濃尾地震断層系を形成した。根尾谷断層系を構成する各活断層は今後も間違いなく活動し続けるはずであり、決して最後ではないから濃尾地震断層系は“とりあえず最後”の活動ということになる。
文献
  • 村松郁栄・松田時彦・岡田篤正(2002)濃尾地震と根尾谷断層帯-内陸最大地震と断層の諸性質-.古今書院,340頁.
  • 松田時彦(1974)1891年濃尾地震の地震断層.地震研究所研究速報,13号,85-126頁.
  • 写真 根尾谷断層系の分布
    (松田(1974)より作成)
    写真 濃尾地震断層系の分布
    (松田(1974)より作成)
    根尾谷断層
    根尾谷断層は、全長約80kmにわたり複数の活断層群からなる根尾谷断層系のうち、岐阜・福井県境にある能郷(のうご)白山(標高1617m)付近からほぼ根尾川沿いに南下し、岐阜市北端部に至る約35kmの長さをもつ活断層である。全体として左横ずれ変位が卓越し、北東側が沈下する縦ずれ変位をともなう運動を起こしている。根尾谷断層系のほぼ中央において比較的活発に動いてきた断層であることもあり、しばしば「根尾谷断層系」とまったく同義に使われて混乱を招いており、厳密には明確に区別して扱う必要がある。1891(明24)年にとりあえず最後の活動を起こして濃尾地震をもたらし、その際に形成された地表の変位を「根尾谷地震断層」と呼び、その代表例が国の特別天然記念物に指定されている通称「水鳥(みどり)の断層崖」である。これも単に“根尾谷断層”と呼ばれることが多く、日本地質学会もここを“根尾谷断層”として「日本の地質百選」に選定している。
    濃尾地震
    濃尾地震は根尾谷断層系の温見(ぬくみ)断層、根尾谷断層、梅原断層などが同時に動いたことで発生し、活断層型(直下型)地震としては国内で最大級の規模をもつ地震である。明治時代に入ってから起こったこともあり、大地に現れた地震断層ばかりでなく、被害の状況も詳細な記録として残されている。この地震により、美濃地方で死者4,889人、負傷者12,311人、全壊70,048戸、半壊30,994戸という被害がもたらされた。全国規模でも、死者7,273人という多大な被害を受けたばかりでなく、当時としての先端技術であった鉄道や煉瓦作りの建物に甚大な被害を受けたことで、富国強兵に邁進していた明治政府にとって大きな打撃となった。この災害を契機として耐震構造への関心が強まり、その研究が大きく進展していったり、この地震後に震災予防調査会が設置され、日本における本格的な地震研究がスタートした。
    水鳥(みどり)の断層崖
    根尾谷断層が1891(明24)年に動いたことで形成された根尾谷地震断層を代表する場所であり、国の特別天然記念物「根尾谷断層」として指定されており、約500mにわたり約6mの縦ずれにより形成された断層崖である。根尾谷断層における主要な動きは左横ずれであり、縦ずれがあった場合にはそのほとんどで南西側が隆起している。ところが、この崖では逆に北東側が隆起しており、同時に2~3mの左横ずれも起こした。この付近では断層崖を形成した断層の東側にもう一本の断層が約400m離れてほぼ平行に走り、それらがともに左横ずれを起こすと、断層にはさまれた部分では北西と南東へ向かう動きが衝突することになる。それを解消するために、東西方向の断層をつくって地盤を上昇せざるを得なくなる。この断層崖は濃尾地震断層系を象徴する場所になっているが、全体としてみるとかなり局地的で特殊な原因で起こった縦ずれ運動で形成されたことになる。なお、この断層崖の地下の様子は「地震断層観察館」で見学できる。


    地質年代