断層名 小和知断層(概説) おわちだんそう
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場所 中津川市加子母(かしも)小郷(おご)
概要    加子母の谷に沿って走る国道257号が下呂市へ入るところで舞台峠を越える。その東側に広がる加子母小郷の平坦地を北西~南東方向に横切り、この付近から南東の加子母方面に延びる断層である。小郷の平坦地にある水無(すいむ)神社付近では、1586(天正13)年に天正地震を起こした際にこの断層のすぐ南側に長さ200m程度の副断層ができ、その間が相対的に陥没したことで池が生じたとされており、低断層崖や陥没地が現在も残されている。この陥没地付近での断層露出面やトレンチ調査によれば、1800年前以降に断層活動の証拠があり、それには天正地震時のものも該当する可能性がある。とりわけ天正地震の時には舞台峠近くにあった大威徳寺(だいいとくじ)が崩壊したとの記録もあり、小和知断層と並走する湯ヶ峰断層におけるトレンチ調査からもその可能性が指摘されており、阿寺断層系の複数の活断層が分布するこの地帯における断層活動によって天正地震が発生した可能性が示唆されている。
ジオ点描    南東から直線状に延びてきた阿寺断層が加子母の谷において枝分かれしていくようになり、それらの1本が北西へ延びた位置に小和知断層があるとされている。それはさらに北西の下呂市側へ延びるが、すぐに竹原川流域で消滅するようであり、それに並走するように新たに北西へ向けて下呂断層や湯ヶ峰断層が延びていく。すなわち、小和知断層は南東から延びてきた阿寺断層の北西端にあたるとみられる。
文献
  • 山崎晴雄(1988)1985年阿寺断層(小和知地区)トレンチ調査.活断層研究,no.5,60-64頁.
  • 写真 下呂市御厩野にある大威徳寺跡の標識
    (撮影:中田裕一)
    写真 加子母小郷の牧水無神社前における陥没地
    (撮影:中田裕一)
    阿寺断層系
    阿寺断層系は、中津川市馬籠(まごめ)付近から北西へ向かって、同市坂下、付知町、加子母(かしも)を経て、下呂市萩原町の北方へ至る全長約70kmにも及ぶ日本でも第一級の活断層系である。ほかの大規模な活断層系と同様に、複数の断層が平行にあるいは枝分れして走っている。それらのうち、おおよそ中津川市と下呂市の境界にある舞台峠付近より南に分布する断層群を阿寺断層と呼び、それより北に分布する断層群にはそれぞれ別の名称がつけられている。大きくみると、阿寺断層系は、その北東側にある標高1500~1900mの山稜部を持つ比較的なだらかな阿寺山地とその南西側にある標高1000m前後の美濃高原との境界部にある断層帯で、両者はもともと一続きの地形であり、地形上の高度差700~800mがそのまま断層による縦ずれ移動量を示すが、それよりも10倍近くの大きさで左横ずれ移動量をもち、それは断層を境に河川の流路が8~10kmも隔てて屈曲していることに表れている。
    下呂断層
    下呂断層は、下呂市と中津川市の境にある舞台峠付近から北西へ向かい、初矢(はちや)峠を経て、飛騨川沿いに下呂温泉街を抜け、下呂市馬瀬(まぜ)惣島方面へと延びる。全長約15kmほどであり、すぐ北西側をほぼ並走している湯ヶ峰断層とともに北西~南東方向に延びる阿寺断層系の北西部にあたる。下呂温泉のおもな泉源の位置は飛騨川に沿って通る下呂断層沿いに分布しており、その断層破砕帯にかかわって湧出している。
    天正地震
    飛騨・美濃・伊勢・近江など広域で被害があり、現白川村で帰雲(かえりぐも)山の大崩壊が発生し、山麓にあった帰雲山城や民家300余戸が埋没し、多数の死者がでたとされる。また、下呂市御厩野(みまやの)にあった大威徳寺(だいいとくじ)が壊滅し、伊勢湾や若狭湾では津波が発生したとされる。これらのことから御母衣(みぼろ)断層、阿寺(あてら)断層、養老断層などの活断層が同時に動いたとされる説、時期はずれたが連続して動いたとされる説などがあり、不明な点が多い。
    阿寺断層(加子母の谷)
    中津川市加子母は約10kmにわたり北西~南東方向に流れる加子母川の谷に沿って広がり、そこに阿寺断層が延びる。阿寺断層系のうち、この付近から中津川市馬籠(まごめ)付近までを阿寺断層といい、下呂市との境にある舞台峠周辺から北へは、小和知(おわち)断層、湯ヶ峰断層、下呂断層、萩原断層などに枝分れしていく。その兆候は加子母下桑原付近でみられ、阿寺断層はおおむね3列にわたり延びる。最も南西側の断層は加子母川沿いの谷底低地にあり、ほとんどすべてが現河床の堆積物で埋っている。真ん中の断層は北東側の山地と谷底低地の境界にある。谷底低地から百数十m程度の高さで山列が連なり、それらの平地側には三角末端面がある。最も北東側の断層は山地の中腹を通り、そこには断層鞍部が並んでおり、この断層をそのまま北西へ延ばすと小和知断層につながる可能性がある。加子母の谷から見上げる阿寺山地は、阿寺断層が作り出した比高800mにもなる壮大な断層崖に相当する。
    湯ヶ峰断層
    湯ヶ峰断層は阿寺断層系の1つで、下呂市御厩野(みまやの)付近から乗政三ツ石、湯ヶ峰を経て、下呂温泉の北方へ向かって全長約10kmにわたり延びる。三ツ石は南西へ向って緩く傾いた段丘面の上にあり、その南西部に北西~南東方向に延びる高さ2~3mの直線状の低断層崖が谷の上流側に向いてある。ここで1986(昭61)年にトレンチ調査が行われ、トレンチ面にはその南西側に基盤の濃飛流紋岩が、北東側に上流や断層崖から供給された砂礫層がそれぞれみられ、南西側が明瞭に隆起していた。この調査で、約7,000年前以降に少なくとも4回以上の断層活動があり、最新の活動は約3100年前以降であることがわかった。さらに1990年のトレンチ調査では約1,000年前以降に活動したことが明らかにされ、1583(天正13)年の天正地震により崩壊したとされる大威徳寺(だいいとくじ)が南東へ数km離れた場所にあり、この断層が活動した可能性も考えられる。
    地質年代