断層名 萩原断層(概説) はぎわらだんそう
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場所 下呂市萩原町萩原
概要    全長70kmにも及ぶ阿寺断層系の北端にあたり、下呂市萩原町の中心部で南北方向に延びる幅広い飛騨川の谷からそのまま北へ向かって山之口川に沿って延び、直線的に延びる谷と断層鞍部を連ねてやがて位山(くらいやま;標高1,529m)付近で消滅する活断層である。それより北へいくと直交する方向の宮川断層源氏岳断層ヌクイ谷断層などが現れるようになる。飛騨川の流路は萩原町四美(しみ)付近で萩原断層にぶつかってほぼ直角に左へ曲げられ、萩原断層に沿って下呂温泉方面へ流れていくことで、左横ずれ運動を繰り返し起こしていることを示しており、段丘面を変位させる低断層崖からは東側が上昇している縦ずれ運動も認められる。1994(平6)年に萩原町四美辻(しみつじ)において行なわれたトレンチ調査では、最新活動は3,250~3,400年前とされ,過去11,000年間の平均活動間隔が約2,000年程度であるが、阿寺断層系の主要部における運動と連動した動きはないようである。
ジオ点描    河川の流路が断層に沿って形成されることはよくある。山間部において断層に沿って直線的に延びている谷を断層谷と呼び、それをつなげて逆に活断層の存在を推定したりする。しかし、大きな河川の本流において直線的な流路をなして流れ、そこに沿って断層帯が走っているという状況はそれほど多くない。河川の規模が大きいために断層谷といえるような簡単な関係では説明できないと考えるべきであろう。
文献
  • 岡田篤正・池田安隆・中田 高(2006)1:25,000都市圏活断層図 阿寺断層とその周辺「萩原」「下呂」「坂下」「白川」解説書.国土地理院技術資料D・1-No.458.
  • 写真 萩原断層の北部における直線的に延びる断層谷(下呂市萩原町尾崎の中村地区付近から黍生(きびゅう)地区北方を望む)
    (撮影:小井土由光)
    写真 準備中
    阿寺断層系
    阿寺断層系は、中津川市馬籠(まごめ)付近から北西へ向かって、同市坂下、付知町、加子母(かしも)を経て、下呂市萩原町の北方へ至る全長約70kmにも及ぶ日本でも第一級の活断層系である。ほかの大規模な活断層系と同様に、複数の断層が平行にあるいは枝分れして走っている。それらのうち、おおよそ中津川市と下呂市の境界にある舞台峠付近より南に分布する断層群を阿寺断層と呼び、それより北に分布する断層群にはそれぞれ別の名称がつけられている。大きくみると、阿寺断層系は、その北東側にある標高1500~1900mの山稜部を持つ比較的なだらかな阿寺山地とその南西側にある標高1000m前後の美濃高原との境界部にある断層帯で、両者はもともと一続きの地形であり、地形上の高度差700~800mがそのまま断層による縦ずれ移動量を示すが、それよりも10倍近くの大きさで左横ずれ移動量をもち、それは断層を境に河川の流路が8~10kmも隔てて屈曲していることに表れている。
    宮川断層
    宮川断層は、飛騨一之宮から南西に向かい、位山(くらいやま)(標高1529m)から川上岳(かおれだけ)(標高1525m)へ続く山嶺の北西斜面において直線状に並ぶ断層鞍部をつなげるように通過し、ツメタ谷から峠を越えて郡上市側へ延び、そのまま大原(おっぱら)断層につながる。そこには幾本かの断層が平行して並んでおり、場所によっては幅数百mの断層破砕帯を形成している。宮川支流の流路は宮川断層にぶつかった所で右横ずれの屈曲をしており、断層に沿う谷に入ると、硬くて暗青色をした基盤の濃飛流紋岩がもろく粉々になり、断層粘土をともなった破砕帯となっている。そこから流れ出した岩石は、下流の飛騨一之宮盆地の東端にある水無神社付近に堆積して、そこに広い河原をつくった。その堆積物には多くの隙間があるために水はけがよく、河原の水は伏流水となって河床にしみ込んでしまうために河原は水無川となっている。高山市の上水道の一部もこの伏流水を利用している。

    源氏岳断層
    源氏岳断層は、高山盆地の南部から西南西に向かい、源氏岳(標高1143m)の南麓を経て、小井戸谷や川上(かわかみ)川の最上流部へかけて全長約17kmにわたり延びる。大楢谷(おおならだに)川の谷は断層を境に約300mの右横ずれを起こしており、ほかに断層鞍部などの断層地形も明瞭にみられるが、断層の活動履歴等はわかっていない。この断層に沿う谷は比較的平らな緩斜面を作っている場合が多く、断層破砕帯から供給された崖錐堆積層に埋もれているためで、ゴルフ場やマツ林となっている。北西側の巣野俣断層、南東側のヌクイ断層・宮川断層(大原(おっぱら)断層)と並走し、これらを含めた「江名子・大原断層帯」と呼ばれる北東~南西方向に延びる断層群の一つである。
    ヌクイ谷断層
    ヌクイ谷断層は、高山市清見町楢谷(ならだに)東方の赤谷付近から北東へ、宮川防災ダムを通り、清見町の川上(かわかみ)川の支流にあたる大楢谷(おおならだに)川上流部を経て、源氏岳(標高1143m)の南麓まで約15kmにわたって延びており、北東~南西方向に延びて高山盆地南西部を占める「江名子・大原(おっぱら)断層帯」の一員である。宮川の最上流部は大きくツメタ谷とヌクイ谷に分かれ、前者に沿って宮川断層が、後者に沿ってヌクイ谷断層がそれぞれ延びており、ともに北東~南西方向に流路が刻まれている。ヌクイ谷では、ヌクイ谷断層に沿って比較的平坦な幅広い谷が広がっており、宮川防災ダム周辺では濃飛流紋岩が断層に沿って激しく破砕され、粘土化して青白くなった破砕帯を幅広く形成している。同時に、流路は右(北東)に500mほど横ずれしている。また、小さな谷や尾根は断層を境に相対的に100m前後の右ずれ屈曲を示しており、断層鞍部もみられる。
    下呂温泉
    江戸時代初期に儒学者林 羅山が有馬温泉、草津温泉とともに日本三名泉に数えたことで知られる温泉であり、そのおもな泉源が濃飛流紋岩の中を通るが阿寺断層系の下呂断層に沿って分布している。下呂断層や湯ヶ峰断層などの阿寺断層系の断層沿いに形成された破砕帯などから地下へしみ込んだ地下水が、湯ヶ峰火山のマグマ溜りで温められ、下呂断層の破砕帯に沿って形成された飛騨川の低所に湧き出していると考えられている。
    地質年代