施設名 木曽三川公園センター きそさんせんこうえんせんたー
場 所 海津市海津町油島(あぶらじま)255-3 電話 0584-54-5531
 HP https://www.kisosansenkoen.jp/~center/
管理者 (財)公園緑地管理財団 開館年月 1976(昭51)年10月 木曽三川公園センターにある展望タワー
(撮影:小井土由光)
 
施 設
概 要
   濃尾平野における木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)の下流域では、おもに江戸時代中期ごろから多くの治水事業が進められてきた。それを象徴する施工設備である千本松原の北端にあたる位置に「国営木曽三川公園」の拠点として設置された施設である。そのなかで、展示施設を備えた「水と緑の館」では木曽三川に関する変遷・治水・生息生物などが紹介され、高さ65mの「展望タワー」からは千本松原や接近して流れる木曽三川の流路などの眺望が楽しめる。また、“輪中”地域特有の「水屋(みずや)」と呼ばれる建物を持つ農家、シーズンごとに花が咲く大花壇、広大な芝生の広場などの施設も設けられており、学習やレクリエーションなど多目的に多くの人々に楽しめる施設となっている。ちなみに「国営木曽三川公園」は、濃尾平野において木曽三川が広がる広大な地域の豊かな自然環境を活用した日本一広い国営公園であり、大きく3地区に分かれて13拠点が開園している。その一つとして“中央水郷地区”の中心にある施設がこのセンターであり、この他に“三派川地区”(おもに各務原市など)と“河口地区”(三重県桑名市)に施設がある。
木曽三川公園センターにある「水屋」
(撮影:小井土由光)
 
ジオ点描
   木曽三川の下流域では濃尾傾動運動により濃尾平野の西側ほど沈降していっているため、三川すべてが養老山地側へ偏るように流れている。水は低所に向かって流れるから、何も施さずにそのまま放置しておけば木曽川の水は長良川へ、長良川の水は揖斐川へと順に集まっていく。ここに濃尾平野における水害に関する立地条件の本質と治水事業の根幹が潜んでいる。
 
 出版物
千本松原
濃尾平野における木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)は濃尾傾動運動により西に偏って流れ、下流ほど互いに接近して養老山地に掃き寄せられるように流れる。そのため西側の揖斐川に大きな負担がかかるようになり、治水上は三川を分流させることでそれぞれ独立に伊勢湾へ排水する工事が必要になる。その一つとして、江戸時代の宝暦年間(1753~55年)に幕府の命令で薩摩藩が行なった分流工事のうち、当時の木曽川と揖斐川に分流堤が築かれた場所であり、そこに堤防補強を目的として多数の松が植えられたことでこの名がある。「油島千本松締切堤」ともいう。この分流工事は多数の犠牲者を出した難工事であったため、河口側の南端に薩摩藩士の慰霊と宝暦治水の偉業を記念する「宝暦治水碑」があり、上流側の北端に「治水神社」が祀られている。
濃尾傾動運動
濃尾平野の西端において北北西~南南東方向に走る養老断層を境に、西側の養老山地側が上昇し、東側の濃尾平野側が沈降している。平野部だけをとりだすと西側ほど沈降し、東側の三河高原側が上昇することで全体が西へ傾く運動となることでこの名がある。この運動は数百万年前から始まり,平均して0.5mm/年ほどの速度で平野部が沈降しており、現在も続いている。常に連続して沈み続けているわけではないから日常の生活ではまったくわからないが,平野の中を流れる木曽三川 (木曽川・長良川・揖斐川) が河口に近づくにつれて養老山地側へ偏っていくのはこのためである。



地質年代