名  称 濃尾傾動運動 のうびけいどううんどう -
  場 所 濃尾平野地域一帯  形成時期 おもに第四紀以降
   概 要
   日本におけるおもな平野は、大きな河川が山地から土砂を運んで下流域に堆積させることで形成されている。その場合、運び込んだ土砂が海へ流れ出てしまう前にそれらをためる“容器 (お盆) ”が用意されている。土砂がためられることなくそのまま海へ流れ込むと海流に運ばれてしまい、平野と呼べるような広さをもった平坦な場所は形成されない。容器作りはいずれの平野においても容器の底を下げる運動 (造盆地運動) であり、平野は大地の沈降運動があってこそ形成されることになる。濃尾平野における容器作りが濃尾傾動運動であり,濃尾平野地域の西側ほど沈降し、東側の三河高原側が上昇することで平野部全体が西へ傾く運動をしている。平野の西端には北北西~南南東方向に養老断層が延び、それを境に東側の濃尾平野側が沈降し、西側の養老山地側が上昇している。この運動は数百万年前から始まり、平均して約0.5mm/年ほどの速度で進行しており、現在も続いている。とはいえこの運動はいつも休みなく続けているわけではなく断続的に起こっており、日常の生活ではまったくわからないが、平野の中を流れる木曽三川 (木曽川・長良川・揖斐川) が河口に近づくにつれて養老山地側(西側)へ偏っていくのはこの運動が累積していったことを表わしている。
 
濃尾平野地域の模式東西断面図(桑原,1968による)
(濃尾平野の西側ほど大きく沈降しているために地層が厚く堆積している)
 
  ジオ点描
   日本における大きな平野といえば濃尾平野のほかに関東平野や大阪平野などがあげられる。いずれの平野においてもそれぞれ運動のスタイルは異なるが、“容器”の底を下げる造盆地運動が継続して起きている。それがあるから例外なくかなり広域にわたり平坦な場所が形成されており、そこで多くの人間が活動し、大都市が形成されていった。大地の沈降運動は土砂ばかりでなく人間もかき集められている。
濃尾平野地域のランドサット衛星写真
(平野の中央を流れる木曽川が下流ほど西側の養老山地に近づいており、長良川・揖斐川も同様に西へ偏って流れている)
 
  文 献 桑原 徹(1968)濃尾盆地と傾動地塊運動.第四紀研究,7巻,235-247頁.  
養老断層
濃尾平野から西方を望むと、養老山地が南北方向に延び、その東側斜面が壁のように立ちはだかり、ほぼ直線的な境界で濃尾平野と接している。その境界に沿って約40kmにわたり養老断層が延びている。養老山地から濃尾平野を経て東方の猿投(さなげ)山地に至る地形上の単位は「濃尾傾動地塊」と呼ばれ、東側が緩やかに上昇し、濃尾平野が沈降していく濃尾傾動運動で作られたものである。沈降していく濃尾平野と上昇していく養老山地との間に養老断層があり、その上下移動量は数百万年前から現在までに2,000m以上に達していると考えられている。沈降していく濃尾平野には木曽三川が運び込んだ大量の土砂が堆積しているから、その2/3ほどは埋められており、実際の養老山地東側の斜面では1/3ほどだけが断層崖として顔をのぞかせていることになる。




地質年代