名  称 マンガン団塊 まんがんだんかい
  場 所  形成時期 ジュラ紀
   概 要
   現在の深海底においては、陸地からもたらされた大陸物質の風化生成物から、あるいは海底での熱水活動によってもたらされた生成物からいろいろな成分が海水中にもたらされている。それらのうちマンガン(Mn)や鉄(Fe)はそれらの酸化物として海底に沈殿し、それが最終的に黒色の固まり(団塊)となって分布している。その形成過程はまだ十分にわかっているわけではないが、地質時代においても現在の深海底環境下と同様な作用が働いていると考えてよく、美濃帯堆積岩類の中で深海底堆積物に相当するチャートあるいはそれにともなわれる珪質泥岩の中に実際にマンガン団塊がしばしば含まれている。美濃帯堆積岩類の中では一反田鉱山のような小規模ではあるが数多くのマンガン鉱山跡がみられ、それらにおいては必ずしもマンガン団塊として採掘されていたわけではないが、深海環境で堆積したマンガン含有堆積物が普遍的に含まれていることを示している。
 
日本ラインの木曽川河床に露出する珪質泥岩中のマンガン団塊
(撮影:鹿野勘次)
 
  ジオ点描
   現在の海洋底でみられるマンガン団塊はその成長速度がきわめて遅く、数百万年かけて1cmほどの厚さになるとされている。団塊にはMnやFeばかりでなくニッケル(Ni)やコバルト(Co)なども含まれることから、資源獲得競争の中で各国により調査研究が行われてきた。しかし、現在では環境上の観点から精錬過程に課題が多く、調査研究をあまり積極的に進めている国は少なくなっている。
 
  文 献
美濃帯堆積岩類
美濃帯は、飛騨外縁帯の南側にあってかなり幅広く分布する地質帯で、岐阜県内でも広範囲にわたる地域を占める。そこは、古生代石炭紀から中生代白亜紀最前期にかけての時期にチャート・石灰岩・砂岩・泥岩・礫岩などの海底に堆積した堆積岩類と海底に噴出した緑色岩(玄武岩質火山岩類)でおもに構成されている。下図に示すように、海洋プレートの上に噴出した玄武岩質火山岩類は海底や火山島(海山)を形成して、その上にチャートや石灰岩・珪質泥岩などを徐々に堆積させながら大陸へ向かって年間数cmほどの速さで移動していく。海洋プレートは海溝部で大陸の下へ沈み込んでいくが、堆積物はいっしょに沈み込むことができず、はぎ取られたり、大陸側から運び込まれた砂岩・泥岩などとともに大陸側へ押し付けられ、混じり合って複合体(コンプレックス)を作りあげていく。こうした作用を付加作用といい、それにより形成された堆積物は付加体堆積物と呼ばれ、これまでそれらを総称して「美濃帯中・古生層」、「美濃帯中生層」、「美濃帯堆積岩コンプレックス」などといろいろな表現で呼ばれてきたが、ここではこれらを「美濃帯堆積岩類」と呼ぶ。それらは、それまで順に重なっていた地層が付加作用にともなって低角の断層を境にして屋根瓦のように繰り返して覆うように重なったり、複雑に混じりあったメランジュと呼ばれる地質体を構成し、整然とした地層として順番に連続して重なるようなことがほとんどない。そのため全域にわたり個々の地層名を付して表現することがむずかしいため、ここでは構成岩石の種類(岩相)によって表現する。これらの構成岩石は単独でも複数の組合せでもある程度の大きさを持つ地質体を形成しており、その大きさはcmオーダーの礫からkmオーダーの岩体までさまざまである。これらは岩相、形成時期、形成過程などの類似性から複数の地質ユニットに区分され、ユニット間は衝上断層で接することが多いが、その区分による表現はここでは用いない。
チャート
一般には硬く緻密な微粒珪質堆積岩の総称であり、美濃帯堆積岩類を構成する主要な岩石の一つとして特徴的に産する。厚く層状に分布することが多く、これを層状チャートと呼ぶ。一部に古生代ペルム紀のものも含まれるが、ほとんどは中生代三畳紀~ジュラ紀前期に海底に堆積した放散虫などのプランクトンからなる遠洋性の堆積物で、陸源砕屑物をまったく含まない。
珪質泥岩
美濃帯堆積岩類において、チャートほど珪質で堅硬ではないが、珪酸(SiO₂)分に富む細粒で緻密な岩石である。層状チャートの上位に整合に重なり、密接にともなわれることが多い。現在の深海底にみられるマンガン団塊も含まれることがあり、放散虫化石や陸源砕屑粒子が混じりあった半深海性の堆積物を表わしており、海洋プレートが大陸縁辺に近づきつつある時期の堆積物である。
一反田鉱山
美濃加茂市の北部にある森林レクリエーションエリア「みのかも健康の森」の北端付近において県道348号山之上(やまのうえ)古井(こび)線が県道97号富加(とみか)七宗(しちそう)線にぶつかるT字路の東方にあたる県道97号沿いにあった。美濃帯堆積岩類を構成するチャートのブロック中にある層状マンガン鉱床はきわめて小規模なものまで入れると無数といってもよいほどあり、その中で比較的規模の大きな鉱床を稼行対象とした鉱山であった。鉱体の連続性が良く、平均的な鉱石帯の幅も1m以上あり、15,000トン以上の出鉱量が記録されている。黒褐色~褐色を呈するネオトス石と呼ばれる非晶質の含水珪酸マンガン鉱物を多量に産出することを特徴とする。1940(昭15)年に鉱床が発見され、1950(昭25)年に採掘が開始されたが、5年後には休山となり、1962(昭37)年に再開されているが、現在は廃坑となっているものの、坑口跡は残っている。

地質年代