化石名 デスモスチルス
  地層名 瑞浪層群
(瑞浪市明世町山野内)
 対象時代 新第三紀中新世前期
約1700万年前
   概 要
   中新世前期から中期にかけて北太平洋沿岸地域に生息し、おもに海岸や浅海で暮らしていた半水棲哺乳類である。臼歯がゾウと同様に水平移動して交換されていき、象牙質の芯をエナメル質が取り巻いた円柱がいくつも束になった独特の形状をしている。そのためギリシア語で「束ねられた(デスモス)柱(スティルス)」を意味している学名を与えられ、分類上も“束柱目”にされている。体長1.8mほどのカバに似た太めの体形で、頑丈でやや外に張り出した四肢をもっており、陸上での動きが鈍かったと推定されている。骨が著しくスポンジ構造をなして低密度であることから遊泳生活に適応ししていたと考えられており、同じ束柱目に属する骨密度の高いパレオパラドキシアよりも特殊化した種類とされている。当初は歯の化石だけがみつかったが、瑞浪層群の明世累層から頭骨化石が最初に発見され、後に樺太から全身骨格が発見されている。
 
瑞浪市化石博物館に展示されているデスモスチルスの骨格標本(右側はパレオパラドキシアの骨格標本)
(撮影:鹿野勘次)
 
  ジオ点描
   地層中から実際に得られる化石は、わずかな例外を除いてほとんどが骨や歯の断片に過ぎない。そうした化石すべてが該当するわけではないが、それらから全身骨格までの復元作業はかなり難しいものであり、獣医学や解剖学をはじめとしてかなり広範囲な分野の知識を総動員して進められていく。言い換えると、新知識の登場とともに復元図・復元模型は変化していく宿命をもつ。
 
  文 献  
瑞浪層群
新第三紀の中新世に西南日本の古瀬戸内海と呼ばれる海に堆積した地層群の一つで、岐阜県の中濃地方から東濃地方へかけての可児・瑞浪・岩村の3地域に分かれて分布する。可児地域では下位から蜂屋累層、中村累層、平牧累層に、瑞浪地域では同じく土岐夾炭累層、本郷累層、明世累層、生俵累層に、岩村地域では同じく阿木累層、遠山累層にそれぞれ区分されている。これらは、大きくみると淡水域から汽水域、海域へと堆積環境が変化していったが、設楽層群などの他地域に分布する地層群に比べると浅海性の傾向がみられる。
明世累層
瑞浪地域に分布する瑞浪層群のうち中部層を構成し、瑞浪地域の全域にわたり層厚200~250mで分布する海成層で、分布域の中心部と周縁部で岩相が大きく異なる。中心部では全体に凝灰質で、無層理の泥質細粒砂岩、シルト岩~細粒砂岩、軽石質凝灰岩と細粒凝灰岩~凝灰質泥岩の互層などが漸移的に積み重なり、周縁部では礫岩を含む砂岩、砂岩泥岩互層などからなる。大型哺乳類化石としてデスモスチルスやパレオパラドキシアが、周縁部の宿洞(しゅくぼら)相と呼ばれる砂岩層には大型有孔虫化石のミオジプシナがそれぞれ含まれることで知られ、全体に300種を超える貝類化石が産出する。
パレオパラドキシア
中新世前期から中期にかけての時期に北太平洋地域の海岸地帯に生息していたいて束柱目の哺乳類で、デスモスチルスと同じ仲間の絶滅哺乳類である。束柱目の特徴である円柱を束ねた様な形態の臼歯を持つが、デスモスチルスに比べるとエナメル質が薄く、その配置も異なっている。日本では1984年(昭59)年にほぼ完全な形で福島県で発見された梁川標本が有名であり、岐阜県では瑞浪層群の明世累層から幼獣全身骨格が1950年に見つかっている。


地質年代
瑞浪層群
新第三紀の中新世に西南日本の古瀬戸内海と呼ばれる海に堆積した地層群の一つで、岐阜県の中濃地方から東濃地方へかけての可児・瑞浪・岩村の3地域に分かれて分布する。可児地域では下位から蜂屋累層、中村累層、平牧累層に、瑞浪地域では同じく土岐夾炭累層、本郷累層、明世累層、生俵累層に、岩村地域では同じく阿木累層、遠山累層にそれぞれ区分されている。これらは、大きくみると淡水域から汽水域、海域へと堆積環境が変化していったが、設楽層群などの他地域に分布する地層群に比べると浅海性の傾向がみられる。