濃尾地震
濃尾地震は根尾谷断層系の温見(ぬくみ)断層、根尾谷断層、梅原断層などが同時に動いたことで発生し、活断層型(直下型)地震としては国内で最大級の規模をもつ地震である。明治時代に入ってから起こったこともあり、大地に現れた地震断層ばかりでなく、被害の状況も詳細な記録として残されている。この地震により、美濃地方で死者4,889人、負傷者12,311人、全壊70,048戸、半壊30,994戸という被害がもたらされた。全国規模でも、死者7,273人という多大な被害を受けたばかりでなく、当時としての先端技術であった鉄道や煉瓦作りの建物に甚大な被害を受けたことで、富国強兵に邁進していた明治政府にとって大きな打撃となった。この災害を契機として耐震構造への関心が強まり、その研究が大きく進展していったり、この地震後に震災予防調査会が設置され、日本における本格的な地震研究がスタートした。
根尾谷断層
全長約80kmにわたり延びる根尾谷断層系の一部が1891(明24)年10月28日午前6時38分50秒から動き始めたことで濃尾地震がもたらされた。その際に本巣市根尾水鳥に現れた約6mの縦ずれを示す断層崖の写真が当時の理科大学(東京帝国大学の前身)の小藤文次郎教授により2年後に英文論文とともに欧米に紹介されたことで、地震をもたらす地震断層の意味が明確となり、この断層崖が世界中に知れわたるようになった。それらを背景として国指定の天然記念物にされ、さらに、動いた時間も場所も正確にわかり、最大級の活断層型(直下型)地震をもたらした地震断層としての価値が高いことから特別天然記念物として指定され、「根尾中の屈曲」として知られる平均約7mの左横ずれ断層も追加指定されている。ただし、地震をもたらした地震断層として正確に表現するには「根尾谷地震断層」と言わなければならず、活断層群の中の一つの断層を示す「根尾谷断層」と用語の混乱がみられる。
水鳥(みどり)の断層崖
根尾谷断層が1891(明24)年に動いたことで形成された根尾谷地震断層を代表する場所であり、国の特別天然記念物「根尾谷断層」として指定されており、約500mにわたり約6mの縦ずれにより形成された断層崖である。根尾谷断層における主要な動きは左横ずれであり、縦ずれがあった場合にはそのほとんどで南西側が隆起している。ところが、この崖では逆に北東側が隆起しており、同時に2~3mの左横ずれも起こした。この付近では断層崖を形成した断層の東側にもう一本の断層が約400m離れてほぼ平行に走り、それらがともに左横ずれを起こすと、断層にはさまれた部分では北西と南東へ向かう動きが衝突することになる。それを解消するために、東西方向の断層をつくって地盤を上昇せざるを得なくなる。この断層崖は濃尾地震断層系を象徴する場所になっているが、全体としてみるとかなり局地的で特殊な原因で起こった縦ずれ運動で形成されたことになる。なお、この断層崖の地下の様子は「地震断層観察館」で見学できる。
地質年代