断層名 池田山断層(概説) いけだやまだんそう
  場所 池田町願成寺(がんじょうじ)
   概 要
   濃尾平野の北西端部において池田町南端部付近から池田山(標高924m)の東麓を経て、北北西~南南東方向に揖斐川流域まで山麓に沿って約16kmにわたり延びている。断層の西側にある池田山の山塊は隆起していくことで濃尾平野の平坦地から比高約700mの急崖を形成しており、この直線的に延びる急崖を「池田山断層崖」と呼ぶ。山塊は隆起していくとともに削られていき、大量の土砂が平野部へ流出することで山麓には霞間ヶ渓(かまがたに)のような扇状地が形成された。こうした扇状地堆積物は池田山の東麓において断層を埋めるように堆積しているため断層の位置をわかりにくくしているが、そのほぼ真上にあたる扇状地の上では落差2~3mの撓曲崖が形成されている。1998(平10)年にこの撓曲崖を掘削してトレンチ調査が行なわれ、山地側が平野側の上に乗り上げている逆断層として約1,300年前の地層を変形させており、断層の活動間隔は少なくとも870年以上であることが明らかにされている。こうした活動の繰り返しにより池田山の山塊が形成されていった。
 
池田町の揖斐川右岸堤防から望む池田山東麓の池田山断層崖
(撮影:棚瀬充史)
 
  ジオ点描
   濃尾平野の西縁を画する養老山地および池田山の東側の急崖はそれぞれ養老断層と池田山断層の縦ずれ運動でもたらされた断層崖にあたる。これらを断層線としてみると、養老断層は池田山断層にはつながらず、関ケ原方面に延びて関ケ原断層につながっているようである。とはいえ別の系統の断層であったとしても、平野の西縁という共通の立地にあって沈降する平野との境界をなすことに変わりはない。
池田町願成寺における池田山断層の撓曲崖
(撮影:木澤慶和)
 
  文 献 鈴木康弘・池田安隆・後藤英昭・東郷正美・宮内崇裕(2005)1:25,000都市圏活断層図「大垣」.国土地理院技術資料D・1-No.449  
池田山
伊吹山地の東端にあり、すべて美濃帯堆積岩類からなる山塊である。比較的なだらかな山頂部(標高924m)付近は「池田の森」として整備され、そこから東方の濃尾平野への展望がきわめてよいために、広大なパノラマ夜景が楽しめる場所になっていたり、山麓から吹き上げる上昇気流を利用したハンググライダー、パラグライダーのスカイスポーツが楽しめる山としても知られている。これらは東斜面がかなり急斜面となって濃尾平野と接していることから生まれるものであり、この急崖は池田山断層の断層崖にあたっている。
霞間ヶ渓
池田山断層により濃尾平野と画されて隆起した池田山(標高924m)の山塊は浸食されて谷を刻み、削られて流れ出た土砂はその裾野で池田山断層を覆い隠すように扇状地を形成している。そうした山地部の谷とその下流部にある扇状地部をあわせて作られた渓谷である。この渓谷はかつては「鎌ヶ谷」と呼ばれ、谷沿いにサクラが自生していたが、治山目的などで植樹が続けられ、一帯の全長約2kmにわたり約1,500~2,000本のサクラで埋められるようになった。これを遠望すると霞がかかったように見えることから現在のように呼称されるようになった。また、寒暖差のある気候条件に恵まれ、山麓の扇状地では銘茶“美濃いび茶”が栽培されている。
撓曲
軟らかい地層が厚く地表面を覆っている場合に、その下位にある基盤が断層によりずれても、そのずれが地表まで達せず、撓(たわ)むことでそれを反映させる現象である。
逆断層
大地に力が加わって壊され、特定の面に沿ってずれて食い違いが生じた状態を断層といい、食い違いが垂直方向に生じた「縦ずれ断層」と水平方向に生じた「横ずれ断層」に大別される。そのうち縦ずれ断層において、引っ張る力により生じた場合を「正断層」、押す力により生じた場合を「逆断層」という。これを実際に見える断層のずれ方で表現すると、前者は断層面を境に上側(上盤)が下側(下盤)に対してずれ下がる場合、後者はずれ上がる場合となる。
養老断層
濃尾平野から西方を望むと、養老山地が南北方向に延び、その東側斜面が壁のように立ちはだかり、ほぼ直線的な境界で濃尾平野と接している。その境界に沿って約40kmにわたり養老断層が延びている。養老山地から濃尾平野を経て東方の猿投(さなげ)山地に至る地形上の単位は「濃尾傾動地塊」と呼ばれ、東側が緩やかに上昇し、濃尾平野が沈降していく濃尾傾動運動で作られたものである。沈降していく濃尾平野と上昇していく養老山地との間に養老断層があり、その上下移動量は数百万年前から現在までに2,000m以上に達していると考えられている。沈降していく濃尾平野には木曽三川が運び込んだ大量の土砂が堆積しているから、その2/3ほどは埋められており、実際の養老山地東側の斜面では1/3ほどだけが断層崖として顔をのぞかせていることになる。
関ケ原断層
養老山地の北端にある南宮山(なんぐうさん)の北麓から西へ向かい、関ヶ原を経て、西北西へ滋賀県長浜市へと向かって全長約30kmにわたり延びる。全体としてその北側が上昇するとともに西にずれる左横ずれ運動を起こし、とりわけ関ヶ原古戦場にあたる地域ではほぼ並列する2~3本の断層が作り出した断層地形が各所でみられる。山麓に延びるいくつかの尾根を横切り、それらをずらすことで南側の峰が東へ移動して、北からの谷筋を塞ぐような位置にずれている。秋葉神社、丸山烽火(のろし)場、北野神社それぞれを山頂に載せる三つの小丘は、断層により尾根から切り離された閉塞丘(分離丘陵)である。これらのほかにも断層鞍部が各所にあり、明確な断層地形の存在は活動度の比較的高い活断層であることをうかがわせる。大きく見ると関ヶ原断層は福井県の敦賀湾付近から延びてくる柳ヶ瀬断層と南へ延びていく養老断層との間をつなぐように分布し、日本海から太平洋まで列島を横断する大規模な活断層の一翼を担っていることになる。
地質年代