断層名 畑佐断層(概説) はたさだんそう
  場所 郡上市明宝(めいほう)畑佐 畑佐峠
   概 要
   郡上市明宝畑佐付近から南南東へ向かって相谷(あいだに)川を南下し、畑佐峠を越えてそのまま南へ向かい郡上市和良(わら)土京(どきょう)に至る長さ約17kmの左横ずれ断層として命名された断層である。1969(昭44)年に郡上市明宝付近を震源として起きた岐阜県中部地震は、余震分布域とおおよそ合致することなどからこの断層が動いたことで起こったと考えられたが、それに沿って崩壊などの地表でみられる現象は確認できなかった。その後、当初考えられていた畑佐断層の位置とは異なり、畑佐峠付近から南で2本に分岐するように分布することが分かった。それらは畑佐峠から南の東洞谷、和良下洞へ向かう「畑佐西断層」と南東の東仙峡金山湖(とうせんきょうかなやまこ)に向かう「畑佐東断層」と名付けられ、岐阜県中部地震による大きな山地崩壊はほぼ「畑佐東断層」に沿って起こった。
 
畑佐東断層と畑佐西断層の分布
(脇田・小井土,1994より作成)
 
  ジオ点描
   断層が途中から枝分かれしていくと言われれば、そうなのかとわかったような気もする。大きく見るとそうした断層線がつながっていると理解しても間違いではないが、実際には割れ目が分岐していく現象を細かく追跡して明らかにすることはむずかしい。身の回りにあるものが割れていく際には割れ目が直線的に連続して入るわけではないから、いくつかの断層線が途切れながらも不規則につながっているのであろう。
 
  文 献 脇田浩二・小井土由光(1994)下呂地域の地質.地域地質研究報告(5万分の1地質図幅),地質調査所,79頁.  
岐阜県中部地震
郡上市明宝(めいほう)付近を震源とし、その深さがきわめて浅い地震で、「美濃中部地震」ともいわれる。当時の記録では、旧郡上郡のほぼ全域と旧金山町地域で震度5を観測している。震源近くではほとんどの墓石が転倒したのをはじめ、山崩れや崖崩れが多発した。旧郡上八幡町内でも道路被害は大きく、堀越峠などいくつかの箇所で通行不能となり、復旧にはかなりの時間を要した。県下全域では、死者1名、負傷者10名、家屋半壊86戸などの被害があった。畑佐断層が動いたことで発生した地震とされたが、実際の断層の位置は当初考えられていた位置とは異なり、新たに求められた位置に沿って崩壊等が起こった。




地質年代