断層名 赤河断層(概説) あこうだんそう
  場所
   概 要
   中央自動車道の恵那IC付近から北西に向かい、笠置橋付近で木曽川を横切り、笠置山(標高1,128m)の東方を流れる中野方(なかのほう)川沿いに北西へ延び、赤河峠(標高612m)付近を経て、白川町白川口付近まで約23kmにわたって延びる活断層である。阿寺断層系とほぼ同じ方向に走り、同じ左横ずれ断層であるが、縦ずれの動きもあり、断層の南西側が北東側に対して相対的に隆起する運動をしている。木曽川より北では南西側が上昇することで久田見(くたみ)高原の山々が比較的なだらかな地形を作って広がり、その北東側には赤河断層の断層崖に相当する急斜面が続く。木曽川より南では断層の北東側が沈降して恵那盆地を形成している。途中の赤河峠は断層鞍部のようにみえるが、断層は峠の南西側にある見行山(けんぎょうさん;標高905m)との間にある鞍部を通っている。なお、過去の活動に関する資料は得られておらず、平均活動間隔や最新活動時期はわかっていない。
 
恵那市中野方における赤河断層の位置
(撮影:鹿野勘次)
 
  ジオ点描
   岐阜県の南半部というやや広い範囲でみると、北西~南東方向に延びる阿寺断層系、赤河断層(+八幡断層)、根尾谷断層系が東から西へ順に並んでおり、いずれも左横ずれ断層として同じような傾向で延びている。このことから最近(約70万年前以降)においてこの地域の大地全体が同じ傾向の力を受けていることで同じ方向にずれる割れ目を作ったと考えるのが自然である。
 
  文 献  
阿寺断層系
阿寺断層系は、中津川市馬籠(まごめ)付近から北西へ向かって、同市坂下、付知町、加子母(かしも)を経て、下呂市萩原町の北方へ至る全長約70kmにも及ぶ日本でも第一級の活断層系である。ほかの大規模な活断層系と同様に、複数の断層が平行にあるいは枝分れして走っている。それらのうち、おおよそ中津川市と下呂市の境界にある舞台峠付近より南に分布する断層群を阿寺断層と呼び、それより北に分布する断層群にはそれぞれ別の名称がつけられている。大きくみると、阿寺断層系は、その北東側にある標高1500~1900mの山稜部を持つ比較的なだらかな阿寺山地とその南西側にある標高1000m前後の美濃高原との境界部にある断層帯で、両者はもともと一続きの地形であり、地形上の高度差700~800mがそのまま断層による縦ずれ移動量を示すが、それよりも10倍近くの大きさで左横ずれ移動量をもち、それは断層を境に河川の流路が8~10kmも隔てて屈曲していることに表れている。
八幡断層
上市の白鳥町付近から八幡町付近にかけての長良川は、大きな河川の上流部としては珍しく幅の広い谷底平野を形成している。長良川にダムが造られなかった理由の一つにこの広い谷底平野の存在がある。この谷底平野は、その西側をほぼ平行に北北西~南南東方向に延びる八幡断層の動きに関係して形成された。八幡断層の東側は数百m規模で相対的に沈降し、そこを長良川が流れるようになり、土砂が堆積して広い谷底平野になった。その反対に断層の西側は隆起し、浸食されて急峻な山地となっている。油坂(あぶらざか)峠道路をはじめとして八幡断層を横断して断層崖の急な斜面を横切る道路は数百mも登る峠道になっている。この断層は、長さや規模からして長良川上流地域において中心をなす活断層であり、2004(平16)年に政府の地震調査委員会は、この地域で地震が起こればマグニチュード7.3程度の規模になると報告したが、過去の活動を示す資料はほとんど得られていない。
根尾谷断層系
「根尾谷断層系」は、全長約80kmにもおよぶ長大な活断層群の総称であり、何本もの活断層で構成された長大な活断層帯を形成している。それらのうち、岐阜・福井県境の能郷(のうご)白山(標高1617m)付近から根尾川沿いに南下して岐阜市北端部へ至る、おおよそ1本の断層線で示される活断層を「根尾谷断層」と呼ぶ。根尾谷断層系の活断層にほぼ沿って1891(明24)年に動いた地震断層群の総称を「濃尾地震断層系」と呼び、そのうちの1本として根尾谷断層も動き「根尾谷地震断層」を形成した。根尾谷断層系は、何回も活動を繰り返してきた中でとりあえず最後の大きな活動として濃尾地震断層系を形成し、そのときの震動が濃尾地震である。根尾谷断層系を構成する各活断層は今後も活動し続けるはずであり、決して最後ではないから、濃尾地震断層系は“とりあえず最後の活動”となる。


地質年代