断層名 阿寺断層
(川上の断層露出地点)
あてらだんそう
(かわうえのだんそうろしゅつちてん)
  場所 中津川市川上上平
   概 要
   北西~南東方向に延びた巨大な濃飛流紋岩の岩体を同じ方向に大きく二分するように阿寺断層が走っている。これにより岩体と断層の形成に因果関係があるような印象を与えるが、まったくの偶然であり、両者に直接的な関係も間接的な関係もない。阿寺断層による運動の変位量はそれ以前に形成された濃飛流紋岩などの地質構造を基準として確認できる。中津川市付知(つけち)町付近より南東においては、濃飛流紋岩を地下から広域にわたり貫いている苗木花崗岩が阿寺断層の北東側に露出し、断層を挟んで南西側に分布する濃飛流紋岩と接するように分布しており、この分布状態は最大で8~10kmの左横ずれ運動と同時に最大で700~800mの北東側隆起の縦ずれ運動をしている阿寺断層の変位状況をそのまま表わしていることになる。その両者がこの場所で明確に断層で接している状態が見られる。
 
中津川市川上上平に露出した阿寺断層による濃飛流紋岩(左)と苗木花崗岩(右)の境界
(提供:丹羽正和)
 
  ジオ点描
   形成時期や性状が明確に異なる岩石が断層で接している状態はきわめて普通にみられる地質環境である。しかしそれをピンポイントで確認できる場所は実際にはきわめて少ない。断層付近をその両側からぎりぎりまで境界部を追跡することはよくあるが、被覆物や植生などにより確認できないことが多い。それだけに確認できる場所は貴重であり、それを目の前にすると何故か興奮すら覚えてしまう。
 
  文 献 Niwa,M., Mizuochi,Y. & Tanase,A.(2009) Reconstructing the evolution of fault zone architecture: Field-based study of the core region of the Atera Fault, Central Japan. Island Arc, vol.18, 577-598.  
濃飛流紋岩
濃飛流紋岩は、岐阜県の南東端にあたる恵那山(標高2191m)付近から北部の飛騨市古川町付近へかけて、幅約35km、延長約100kmにわたり北西~南東方向にのび、岐阜県の約1/4の面積を占める巨大な岩体である。この岩体を構成する岩石のほとんどは、火砕流として流れ出た火山砕屑物がたまって形成された火砕流堆積物からなり、しかもその大部分は堅硬に固結した溶結凝灰岩になっており、厚さ数百mで、水平方向へ20~60kmの広がりをもち、岩相・岩質が類似した火山灰流シートとして何枚にもわたって重なりあっている。それらは大きく6つの活動期(NOHI-1~NOHI-6)に区分されており、岐阜県内にはNOHI-6だけが分布しない。これらの火山岩類には花崗岩類が密接にともなわれ、それらを含めて大きく2期(第1期火成岩類・第2期火成岩類)に分けられる火山-深成複合岩体を形成している。第1期の活動は白亜紀後期の約8,500万~8,000万年前にあり、NOHI-1とNOHI-2の活動と引き続く花崗岩類の活動があった。第2期の活動は約7,500万~6,800万年前にあり、NOHI-3~NOHI-5(おそらくNOHI-6)の活動と引き続く花崗岩類の活動があった。これらは活動の場所を南部から北部へと移しながら巨大な火山岩体を作り上げた。
苗木花崗岩
中津川市苗木付近を中心に濃飛流紋岩の分布域の南部に広く分布し、中央部においても濃飛流紋岩の地下に広く伏在して分布する。濃飛流紋岩の少なくともNOHI-5までを貫き、NOHI-3、NOHI-4およびNOHI-5と火山-深成複合岩体を形成していると考えられている。塊状で、一部斑状の細粒~粗粒黒雲母花崗岩および角閃石含有黒雲母花崗岩からなり、放射線で黒~暗灰色になった石英を多く含み、脈状ないし晶洞状のペグマタイトに富むことを特徴とする。



地質年代