断層名 阿寺断層
(付知大門の断層崖)
あてらだんそう
(つけちだいもんのだんそうがい)
  場所 中津川市付知町大門
   概 要
   中津川市付知の町は阿寺断層に沿って北西~南東方向に流れる付知川の流路に沿って細長く延びて作られている。その中で北西部にあたる大門地区から倉屋地区にかけて北西~南東方向に直線状に延びた崖がみられる。この崖が阿寺断層の断層崖であり、その南東端の大門では北東側が8~13mほど高い崖がみられる。ここでは断層の北東側が隆起しつづけながらも、崖の下に南西側の谷から流出した土砂が扇状地を作って溜まっていったため、目に見える断層崖の高さは実際にずれた高さよりも低くなっている。断層崖を真横にあたる南西側の扇状地の高所から眺めると、大門から北西に向かって直線状に延びた土手状の高まりにより手前の扇状地からもたらされた土砂がせき止められるようにぶつかっている様子を捉えることができる。ボーリング調査によれば、実際に断層を境にして約26mも縦ずれを起こしており、1回の活動による平均移動量は左横ずれで4~5m程度、縦ずれで1~2m程度とされている。約26mの縦ずれはこの断層崖が10回以上の断層活動を経て現在の姿になったことを示している。
 
付知町大門における阿寺断層の断層崖
(撮影:小井土由光)
 
  ジオ点描
   ここの断層崖の景観は、崖の高さが少し異なるだけで根尾谷断層の「水鳥の断層崖」の景観とよく似ている。ともに断層の縦ずれ運動により作られた崖であるが、大きく異なる点は断層の活動回数である。後者が1回だけの移動量(約6m)を示しているのに対して、前者は複数回の移動量を示しており、埋められてしまっている部分も考慮すると移動量(約26m)は後者の4倍以上となる。
付知町寺の下における阿寺断層の断層崖(家屋が並ぶ土手状の高まり)
(撮影:小井土由光)
 
  文 献 佃 栄吉・粟田泰夫・山崎晴雄・杉山雄一・下川浩一・水野清秀(1993)2.5万分の1阿寺断層系ストリップマップ説明書.地質調査所,39頁.  
根尾谷断層
根尾谷断層は、全長約80kmにわたり複数の活断層群からなる根尾谷断層系のうち、岐阜・福井県境にある能郷(のうご)白山(標高1617m)付近からほぼ根尾川沿いに南下し、岐阜市北端部に至る約35kmの長さをもつ活断層である。全体として左横ずれ変位が卓越し、北東側が沈下する縦ずれ変位をともなう運動を起こしている。根尾谷断層系のほぼ中央において比較的活発に動いてきた断層であることもあり、しばしば「根尾谷断層系」とまったく同義に使われて混乱を招いており、厳密には明確に区別して扱う必要がある。1891(明24)年にとりあえず最後の活動を起こして濃尾地震をもたらし、その際に形成された地表の変位を「根尾谷地震断層」と呼び、その代表例が国の特別天然記念物に指定されている通称「水鳥(みどり)の断層崖」である。これも単に“根尾谷断層”と呼ばれることが多く、日本地質学会もここを“根尾谷断層”として「日本の地質百選」に選定している。
水鳥の断層崖
根尾谷断層が1891(明24)年に動いたことで形成された根尾谷地震断層を代表する場所であり、国の特別天然記念物「根尾谷断層」として指定されており、約500mにわたり約6mの縦ずれにより形成された断層崖である。根尾谷断層における主要な動きは左横ずれであり、縦ずれがあった場合にはそのほとんどで南西側が隆起している。ところが、この崖では逆に北東側が隆起しており、同時に2~3mの左横ずれも起こした。この付近では断層崖を形成した断層の東側にもう一本の断層が約400m離れてほぼ平行に走り、それらがともに左横ずれを起こすと、断層にはさまれた部分では北西と南東へ向かう動きが衝突することになる。それを解消するために、東西方向の断層をつくって地盤を上昇せざるを得なくなる。この断層崖は濃尾地震断層系を象徴する場所になっているが、全体としてみるとかなり局地的で特殊な原因で起こった縦ずれ運動で形成されたことになる。なお、この断層崖の地下の様子は「地震断層観察館」で見学できる。



地質年代