断層名 阿寺断層(馬籠) あてらだんそう
(まごめ)
  場所 中津川市馬籠
   概 要
   五街道の一つ、中山道は現在の長野県南木曽(なぎそ)町にあった三留野(みどの)宿までは木曽川に沿って下っていたが、そこからは田立(ただち)、坂下へ向かう木曽川の峡谷を避けて、馬籠峠断層に沿ってできた断層谷を利用して妻籠(つまご)宿、馬籠峠へ向かい、そこを越えると現在の岐阜県に入って中津川の丘陵地を望む馬籠宿に至っていた。そこに木曽山地と中津川や恵那の丘陵地との境をなす阿寺断層の南東端が走る。この付近の阿寺断層は本来の左横ずれ断層の要素をかなり減少させ、断層の北東側が相対的に隆起する縦ずれ運動が一般的に見られるようになり、比高400~500mの断層崖が形成されている。そうした運動が累積されていくことで木曽山地が形成されていったとみることもできる。反対に断層の南西側には平坦な丘陵地が開け、そこを利用して馬籠宿から木曽川沿いにある落合宿、中津川宿、大井宿へとつながっていく。この付近における阿寺断層は、大規模断層の末端部でしばしばみられる特徴として複数の断層に枝分かれするようになり、それらがいずれも南東へ向けて恵那山トンネル付近まで延び、そこで屏風山(びょうぶさん)断層と出会うことで途切れている。
 
阿寺断層の最南西端部が通る中津川市新田向付近の地形
(撮影:中田裕一)
 
  ジオ点描
   数十kmにもわたって延びる長大な活断層が末端部までいくと、それまで比較的単純に線状に延びていた断層線が複数に分かれて枝状に広がるような傾向をとる。縦ずれ量も横ずれ量も分散することでゼロになっていくようにみえるが、おそらく個々の場所での断層の挙動はそれほど単純ではなかろう。縦ずれ・横ずれ運動とも複数の断層におけるかなり複雑な動きが合算されて現れるのであろう。
 
  文 献 岡田篤正・池田安隆・中田 高(2006)1:25,000都市圏活断層図 阿寺断層とその周辺「萩原」「下呂」「坂下」「白川」解説書.国土地理院技術資料D・1-No.458.  
恵那山トンネル
中央自動車道の園原IC~中津川IC間にあり、開通当初は道路トンネルとして日本最長の長大トンネルであり、現在は全国で第5位である。恵那山(標高2191m)の北東にあたる富士見台高原(最高点1739m)の下を通っており、おおよそ岐阜県側は濃飛流紋岩のNOHI-1に属する恵那火山灰流シートの中を、長野県側はそれを貫く伊奈川花崗岩と苗木花崗岩の中をそれぞれ貫いている。ただし、トンネルが岐阜県側では阿寺断層と屏風山断層がぶつかる位置に、長野県側にも神坂(みさか)断層や清内路(せいないじ)峠断層などの多数の断層が通過する位置にそれぞれあったことで、工事は破砕帯の連続で難攻を極め、第1期で1967年から約8年を要した。
屏風山断層
屏風山断層は、阿寺断層系の南東端にあたる中津川市馬籠(まごめ)付近から、それに直交する東北東~西南西方向に瑞浪市南西部にかけて全長約32kmにわたり延びる。断層の南側には屏風山(標高794m)を最高峰とする標高750mほどの屏風山山塊が続き、その北側の急斜面が断層崖に相当しており、この壁が大地に作られた巨大な屏風のように見えることからその名がある。屏風山山塊を隆起させる縦ずれ運動は、南側の山塊が北側へ乗り上げる逆断層として起こり、そのため断層は山塊側から崩れてくる堆積物の下に埋もれてしまい、断層自体は限られた地点でしか観察できない。観察できる場所では、断層面が水平面から約60°の傾斜角で南へ向かって傾いており、その上側にある基盤の伊奈川花崗岩が下側にある瀬戸層群の土岐砂礫層の上に乗り上げている。なお、横ずれ運動もしており、断層を横切る河川流路に折れ曲がりがみられる。



地質年代