断層名 阿寺断層(間瀬池) あてらだんそう
(まぜいけ)
  場所 中津川市付知町倉屋 間瀬池
   概 要
   中津川市付知町と加子母(かしも)の境にある塞の神(さいのかみ)峠は阿寺断層が作った断層鞍部であり、そことその南東にある付知大門の断層崖との間には「大平池」、「間瀬池」という2つの小さな池がある。阿寺断層はおもに左横ずれ運動を行っており、断層の北東側にあった尾根が切り離されて北西へ移動すると、そこに断層の南西側から流れていた谷がその尾根にせき止められることで作られた池がこの2つの池にあたる。塞いだ尾根を「閉塞丘」、できた池を「せき止め性の断層池」という。塞の神峠の北西麓にある加子母万賀(まんが)には飛出山(とびでやま;標高528m)という小山があり、国道がここをトンネルで貫いた際に内部に断層破砕帯が見つかっていることから、この山も断層の動きとともに切り離され、その名のとおり南西側に飛び出した形をした小山をつくっている。
 
付知町倉屋における断層池「間瀬池」と背後の閉塞丘
(撮影:木澤慶和)
 
  ジオ点描
   断層の横ずれ運動により尾根をずらして閉塞丘を作ることはあってもよさそうであるが、断層は間隔をおいてずれていくから、間隔の期間が長いとその間に尾根は削られるなり、河谷は流路を変えてしまう余裕ができるはずである。その余裕をなくして活動間隔を短くして頻繁に塞ぐ作業を進めていかないと、尾根は削り取られなくても河谷をせき止めて池を作るまでには至らないように思える。
中津川市加子母万賀の上空からみた飛出山(右下の半島状の山)
(撮影:小井土由光)
 
  文 献  
付知大門の断層崖
中津川市付知の町は阿寺断層に沿って北西~南東方向に流れる付知川の流路に沿って細長く延びて作られている。その中で北西部にあたる大門地区から倉屋地区にかけて北西~南東方向に直線状に延びた崖がみられる。この崖が阿寺断層の断層崖であり、その南東端の大門では北東側が8~13mほど高い崖がみられる。ここでは断層の北東側が隆起しつづけながらも、崖の下に南西側の谷から流出した土砂が扇状地を作って溜まっていったため、目に見える断層崖の高さは実際にずれた高さよりも低くなっている。断層崖を真横にあたる南西側の扇状地の高所からから眺めると、大門から北西に向かって直線状に延びた土手状の高まりにより手前の扇状地からもたらされた土砂がせき止められるようにぶつかっている様子を捉えることができる。ボーリング調査によれば、実際に断層を境にして約26mも縦ずれを起こしており、1回の活動による平均移動量は左横ずれで4~5m程度、縦ずれで1~2m程度とされている。約26mの縦ずれはこの断層崖が10回以上の断層活動を経て現在の姿になったことを示している。




地質年代