断層名 屏風山断層(概説) びょうぶさんだんそう
  場所
   概 要
   阿寺断層系の南東端にあたる中津川市馬籠(まごめ)付近から西南西へ向かって中津川市街地、恵那市街地、瑞浪市街地それぞれの南側を経て、土岐市南西部にかけて全長約32kmにわたり延びる。瑞浪市地域における断層南側には屏風山(標高794m)を最高峰とする標高750mほどの屏風山山塊が続き、その北側の急斜面が断層崖に相当しており、この壁が大地に作られた巨大な屏風のように見えることからその名がある。中津川市地域においても前山(標高1,351m)や根の上高原それぞれの北側急斜面、恵那市地域においても東濃牧場が広がる山塊の北側急斜面など、同様な断層崖に相当する急崖が連なる。屏風山山塊をはじめとする断層南側の山地を隆起させる縦ずれ運動は、断層の南側が北側へ乗り上げる逆断層として起こり、そのため断層は南側山塊から崩れてくる堆積物の下に埋もれてしまい、断層自体は限られた地点でしか観察できない。観察できる場所では断層面が水平面から約60°の傾斜角で南へ向かって傾いており、その上側にある基盤の伊奈川花崗岩が下側にある瀬戸層群土岐砂礫層の上に乗り上げている。なお、断層を横切る河川流路に左屈曲がみられることで左横ずれ運動もしており、これらの活動時期や活動頻度などについては明らかになっていない。
 
屏風山断層の断層崖(奥は恵那山)
(撮影:木澤慶和)
 
  ジオ点描
   東濃地方の地形を大きく見わたすと、東北東~西南西方向に延びる谷や尾根で特徴づけられ、それに沿ってJR中央本線、中央自動車道、国道19号など、この地方における主要な交通路が敷設されている。これにはこの地域における主要な市街地がこの地形に沿って形成されていることがあり、その背景には同方向に長く延びている恵那山断層と屏風山断層が強く影響していると考えてよい。
中津川市坂本からみた根の上高原の山嶺(手前の急崖が屏風山断層の断層崖にあたる)
(撮影:鹿野勘次)
 
  文 献  
阿寺断層系
阿寺断層系は、中津川市馬籠(まごめ)付近から北西へ向かって、同市坂下、付知町、加子母(かしも)を経て、下呂市萩原町の北方へ至る全長約70kmにも及ぶ日本でも第一級の活断層系である。ほかの大規模な活断層系と同様に、複数の断層が平行にあるいは枝分れして走っている。それらのうち、おおよそ中津川市と下呂市の境界にある舞台峠付近より南に分布する断層群を阿寺断層と呼び、それより北に分布する断層群にはそれぞれ別の名称がつけられている。大きくみると、阿寺断層系は、その北東側にある標高1500~1900mの山稜部を持つ比較的なだらかな阿寺山地とその南西側にある標高1000m前後の美濃高原との境界部にある断層帯で、両者はもともと一続きの地形であり、地形上の高度差700~800mがそのまま断層による縦ずれ移動量を示すが、それよりも10倍近くの大きさで左横ずれ移動量をもち、それは断層を境に河川の流路が8~10kmも隔てて屈曲していることに表れている。
逆断層
大地に力が加わって壊され、特定の面に沿ってずれて食い違いが生じた状態を断層といい、食い違いが垂直方向に生じた「縦ずれ断層」と水平方向に生じた「横ずれ断層」に大別される。そのうち縦ずれ断層において、引っ張る力により生じた場合を「正断層」、押す力により生じた場合を「逆断層」という。これを実際に見える断層のずれ方で表現すると、前者は断層面を境に上側(上盤)が下側(下盤)に対してずれ下がる場合、後者はずれ上がる場合となる。
伊奈川花崗岩
中部地方の領家帯を中心に美濃帯南部も含めてきわめて広い範囲に分布する巨大な花崗岩体であり、そのうち岐阜県内には濃飛流紋岩の南縁部においてそれとの接触部にあたる浅部相が広く分布し、多くの地域でNOHI-1およびNOHI-2を貫いており、それらと火山-深成複合岩体を形成していると考えられている。ただし、県南東縁の上村(かみむら)川流域では領家帯構成岩類の天竜峡花崗岩の周辺において三都橋花崗岩と呼ばれている深部相が分布するが、ここでは区別せずに扱っている。斑状あるいは塊状の粗粒角閃石黒雲母トーナル岩~花崗岩からなる。この花崗岩は、古典的な「地向斜-造山運動」論において造山帯中核部の地下深部で形成された花崗岩体の典型例と考えられていたが、1960年代に地表に噴出・堆積した濃飛流紋岩を貫いていることが発見され、地表近くのきわめて浅所までマグマとして上昇してきたことになり、それまでの火成活動史の考えを根底から覆えし、塗り替えることとなった。
瀬戸層群
東海層群のうち濃尾平野の地下を含めて伊勢湾以東の地域に分布する地層群で、岐阜県地域では東濃地方に分布し、下部層をなす土岐口陶土層と上部層をなす土岐砂礫層からなる。この地域では火山灰層がほとんど含まれないことで、内部層序あるいは地層対比がむずかしく、近接した地域でも堆積物相互の関係が明確にできない。
土岐砂礫層
瀬戸層群の上部層を構成し、東濃地方の広大な東濃準平原を形成した河川が運び込んだ大量の礫により形成された砂礫層で、かなり広範囲にわたって分布する。層厚は数十~100mである。場所により礫種に差異があり、おもに濃飛流紋岩からなるタイプとおもに美濃帯堆積岩類のチャートからなるタイプがあるが、内部での層序や層相の関係はよくわかっていない。礫径は濃飛流紋岩で10cm前後、美濃帯堆積岩類で数~20cmであり、ほとんどが円磨度の進んだ円礫からなる。最大の特徴は、チャート礫を除いて、含まれている礫が風化してきわめて軟らかくなっていることであり、チャート礫だけが堅固なまま残されているため、それだけを含む礫層のように見える。
根の上高原
保古山(ほこやま)(標高930m)を最高峰とする標高900mほどのなだらかな起伏を持つ高原である。灌漑用に3つの人造湖が設けられ、とくに「根の上湖」と「保古の湖」の周辺は紅葉の名所となっている。この高原が広がる山塊は、その北縁に沿って東西方向に走る屏風山断層によりその南側が上昇したことで形成された上昇地塊であり、山塊と北側の中津川市街地周辺の低地との間にある急斜面がその断層崖にあたる。おもに苗木花崗岩と伊奈川花崗岩がつくる山塊であり、その頂部をなす平坦面上に土岐砂礫層が分布する。土岐砂礫層は北側の低地にも分布し、両地域での分布高度の差が屏風山断層による移動量(上昇量)を表している。
恵那山断層
恵那山断層は、土岐市柿野付近から岐阜・長野県境の富士見台高原付近まで全長約43kmに及ぶ断層である。恵那市岩村町でのトレンチ調査によると、その最新活動は約7,600年~2,200年以前であったと推定されている。東濃地方の地形は、東北東~西南西方向に平行して走る恵那山断層と屏風山(びょうぶさん)断層の影響をおもに受けており、相対的に断層の南側が隆起し、北側が沈降しているため、それぞれの断層の北側には谷や盆地の連なる低地が形成されている。恵那山断層の北側には、中津川市阿木(あぎ)、恵那市岩村町、同山岡町、瑞浪市陶町(すえちょう)、そして土岐市柿野といった地域が低地をなして連なり、そこには瑞浪層群や瀬戸層群が分布し、とりわけ後者を構成する土岐口陶土層は丸原鉱山のような耐火粘土鉱床を断層沿いに形成している。断層南側の隆起山塊との間には断層崖として急峻な地形が作られ、それを巧みに利用した山城が岩村城跡にみられる。
地質年代