断層名 跡津川断層(大多和峠) あとつがわだんそう
(おおたわとうげ)
  場所 飛騨市神岡町跡津川
   概 要
   断層の名称になった跡津川は、神岡町土(ど)において高原(たかはら)川に合流し、おおむね北東へ向かって富山県境の大多和峠(標高1,295m)までさかのぼる谷の名称である。この谷におおよそ沿って跡津川断層が通っているが、その上流部では谷の流路から離れて北西側の山腹を横切るように通っており、そこを跡津川の谷へ向かって流れ込む小さな支谷はほぼ例外なく横切る断層の右横ずれ運動によって曲げられたり、ずれている。横ずれの距離が大きくなって上流側の谷が断層を境に北東(右)に数百mも離れた位置にあるような場合もみられる。跡津川の谷をさかのぼる道路は古くは「有峰街道」と呼ばれ、中世の頃から裏街道として飛騨から大多和峠を超えて越中と結ぶ重要な街道であり、江戸時代には谷の中程にある佐古(さこ)に見張り所としての口留番所(くちどめばんしょ)があった。
 
大多和峠から岐阜県側を望む(矢印の方向に跡津川断層が通る)
(撮影:岩田 修)
 
  ジオ点描
   断層沿いにある岩盤は破壊されてずらされているから、破砕された部分は一定の幅をもって破砕帯をつくる。破砕帯にある岩盤は脆くなっているから削られやすく、それに沿って谷や鞍部を形成することが多い。逆にそうした地形の連なりが活断層の存在を推定する材料となる。跡津川断層が通る大多和峠もその一つとしての断層鞍部であり、断層はさらに富山県側の有峰湖に向かって延びる。
 
  文 献  
跡津川断層
跡津川断層は、富山県の立山付近から南西へ向かって、飛騨市神岡町、宮川町、河合町を通り抜け、白川村の天生(あもう)峠付近までの全長約60kmにも及ぶ大断層であり、岐阜県における大規模な活断層系である阿寺断層系や根尾谷断層系などとともに日本を代表する活断層系の一つである。人工衛星画像でもその直線状の谷地形が明瞭に識別でき、大きく見ると一本の断層線として示されるが、実際には数本の断層が平行して走っていたり、枝分かれしたりしている。河川流路の折れ曲がりや断層崖などの断層地形が各所に残り、断層上のくぼ地には池ヶ原湿原や天生湿原のような湿原が形成されている。この断層は40万~70万年くらい前から活動を始めたとされているが、詳しいことはまだわかっていない。江戸時代末期の1858(安政5)年に起きた飛越地震は、跡津川断層が動いたことで起きたもので、断層沿いに多大な被害をもたらした。




地質年代