宮川断層
宮川断層は、飛騨一之宮から南西に向かい、位山(くらいやま)(標高1529m)から川上岳(かおれだけ)(標高1525m)へ続く山嶺の北西斜面において直線状に並ぶ断層鞍部をつなげるように通過し、ツメタ谷から峠を越えて郡上市側へ延び、そのまま大原(おっぱら)断層につながる。そこには幾本かの断層が平行して並んでおり、場所によっては幅数百mの断層破砕帯を形成している。宮川支流の流路は宮川断層にぶつかった所で右横ずれの屈曲をしており、断層に沿う谷に入ると、硬くて暗青色をした基盤の濃飛流紋岩がもろく粉々になり、断層粘土をともなった破砕帯となっている。そこから流れ出した岩石は、下流の飛騨一之宮盆地の東端にある水無神社付近に堆積して、そこに広い河原をつくった。その堆積物には多くの隙間があるために水はけがよく、河原の水は伏流水となって河床にしみ込んでしまうために河原は水無川となっている。高山市の上水道の一部もこの伏流水を利用している。
御母衣断層系
御母衣断層は、御母衣断層系の中心をなす断層で全長約24kmにわたり延びる。地形からみると左横ずれ断層で、西側が隆起する傾向にある。白川村木谷において庄川東岸にある河岸段丘面を横切っており、その西側(川側)を約3.4m隆起させて低断層崖を形成している。1990(平2)年にこの断層崖においてトレンチ調査が実施され、この断層が逆断層であり、7,700年前以降と約2,500年前以降の少なくとも2回にわたる断層活動の跡が確認された。後者には、約400年前の天正地震(1586年)をもたらした断層の活動が含まれることになるが、時間幅がかなり大きいために特定できるような年代値とはなっていない。とはいえ、全体として現在も活発に活動しており、地震を発生する危険度の高い活断層であることは明確となっている。
三尾河断層
三尾河断層は、御母衣(みぼろ)断層系の南部において北西~南東方向に全長約18kmにわたって延びる。同じ御母衣断層系の御母衣断層や加須良(かずら)断層と同じように左横ずれ断層である。また、縦ずれ運動もしており、断層の南西側が隆起している。高山市荘川町寺河戸(てらこうど)において1990(平2)年に行われたトレンチ調査によれば、三尾河断層は7,100年前以前、6,300~4,400年前の間、840年前以後の3回にわたり活動しており、最新の活動は天正地震(1586年)を起こした活動にあたる可能性がある。この調査から、最近の活動間隔は3,600~6,300年とされ、約2,000~3,000年とされる跡津川断層や阿寺断層の活動間隔に比べ、三尾河断層のそれはやや長い。こうした繰り返し起こった断層活動により200mほどの幅で形成された断層破砕帯が荘川町三尾河のマトバ橋の下で見られる。
阿寺断層系
阿寺断層系は、中津川市馬籠(まごめ)付近から北西へ向かって、同市坂下、付知町、加子母(かしも)を経て、下呂市萩原町の北方へ至る全長約70kmにも及ぶ日本でも第一級の活断層系である。ほかの大規模な活断層系と同様に、複数の断層が平行にあるいは枝分れして走っている。それらのうち、おおよそ中津川市と下呂市の境界にある舞台峠付近より南に分布する断層群を阿寺断層と呼び、それより北に分布する断層群にはそれぞれ別の名称がつけられている。大きくみると、阿寺断層系は、その北東側にある標高1500~1900mの山稜部を持つ比較的なだらかな阿寺山地とその南西側にある標高1000m前後の美濃高原との境界部にある断層帯で、両者はもともと一続きの地形であり、地形上の高度差700~800mがそのまま断層による縦ずれ移動量を示すが、それよりも10倍近くの大きさで左横ずれ移動量をもち、それは断層を境に河川の流路が8~10kmも隔てて屈曲していることに表れている。
萩原断層
萩原断層は、全長70kmにも及ぶ阿寺断層系の北端にあたり、萩原町周辺で南北方向に延びる幅広い直線的な飛騨川の谷からそのまま北へ向かって山之口川に沿って延び、やがて位山(くらいやま)(標高1529m)付近で消滅する。それより北へいくと、直交する方向の宮川断層(大原(おっぱら)断層)、源氏岳断層、ヌクイ谷断層などが現れるようになる。飛騨川の流路は萩原町四美(しみ)付近でほぼ直角に左へ曲げられ、萩原断層に沿って下呂温泉方面へ流れていくことで、左横ずれ運動を繰り返し起こしていることを示しているが、全体として北西~南東方向に延びる阿寺断層系からみると、延びの方向が異なり、やや傾向の異なる断層である可能性もある。1994(平6)年に萩原町四美辻(しみつじ)において行なわれたトレンチ調査では、萩原断層は約9,000年前以降4回にわたり活動していることが明らかにされ、単純平均で約2,000年に1回の活動になる。
烏帽子・鷲ヶ岳火山
郡上市と高山市の境界にまたがり、南北約33km、東西約18kmの広範囲に広がる火山体であり、復元総体積は約66km³とされている。その中央部に南北に流れる一色川により大きく烏帽子岳(標高1625m)と鷲ヶ岳(標高1671m)の山体に分けられており、多くの谷により開析されているため、火山地形はほとんど残されていない。九頭竜火山列における他の火山が溶岩層を主体とする成層火山を形成しているのに対して、火砕流や岩屑なだれによる堆積物をともなう点がやや異なる。大規模な山体崩壊堆積物と水底堆積物を境に古期火山と新期火山に分けられており、前者はおもに山体の西部から北部にかけて分布し、阿多岐層を覆い、角閃石斑晶に富む安山岩質溶岩と同質の火砕流堆積物などからなる。後者はおもに山体の南部から東部にかけて分布し、前者に比べて角閃石斑晶の少ない安山岩類からなり、複数枚の溶岩層やblock and ash flow堆積物などで構成され、それらを覆う土石流堆積物などが山麓部に分布する。
地質年代