断層名 加須良断層(概説) かずらだんそう
  場所 白川村加須良
   概 要
   御母衣(みぼろ)断層系の北部を構成し、富山県南西部から北北西~南南東方向に県境にある桂湖を縦断して加須良川に沿い、蓮如(れんにょ)峠を越えて、白川村馬狩(まがり)付近まで30kmほどの長さで延びる活断層である。明瞭な左横ずれ断層の地形を示し、東側が上昇傾向にある。同じ断層系の御母衣断層三尾河(みおご)断層が1586(天正13)年に動いて天正地震を起こした可能性を残していることから、この断層もその時に動いた可能性があるが、最近の活動履歴に関する資料はまったく得られていない。室町時代の僧蓮如上人が布教のためにこの地を訪れた際に本流の庄川沿いではなく、境川から桂に入り、おのえ峠、加須良、蓮如峠を経て、白川村馬狩・鳩谷(はとがや)に至ったとされ、すべて加須良断層に沿って通ったことになる。当時の庄川沿いには巨岩の崖が続き、“白川歩危(ほき)”と呼ぶ危険な川だったからである。
 
加須良断層が通る桂湖
(撮影:中田裕一)
 
  ジオ点描
   その実態があまりわかっていない御母衣断層系において、人造湖に沈んでしまっている地域やほとんど人家のない地域を通過していることで断層活動の痕跡や履歴について最もわかっていない活断層である。とはいえ、当時としては危険な流路であった本流の庄川沿いに代わり、この断層沿いに作られた断層谷や断層鞍部を利用して人間の活動に有用な経路が提供されていたことになる。
 
  文 献  
御母衣断層系
御母衣断層系は、庄川沿いに北北西~南南東方向に延びる御母衣断層、加須良(かずら)断層、三尾河(みおご)断層からなる。この断層系は「庄川断層帯」とも呼ばれ、富山県南西部から白川村,高山市荘川町を経て、郡上市北東部まで全長約70kmにわたる。県内にある同方向に延びる阿寺断層系や根尾谷断層系に匹敵する第一級の活断層系であるが、その活動には謎が多い。とりわけ1586(天正13)年に帰雲(かえりぐも)山の大崩壊をもたらし、崩壊した岩屑によって帰雲城が埋没したとする天正地震の震源とされているが、真相は謎である。それは、かつては“陸の孤島”ともいわれた豪雪地帯の白川郷には生活している人が少なく、歴史上の記録が残りにくいことが背景にある。
御母衣断層
御母衣断層は、御母衣断層系の中心をなす断層で全長約24kmにわたり延びる。地形からみると左横ずれ断層で、西側が隆起する傾向にある。白川村木谷において庄川東岸にある河岸段丘面を横切っており、その西側(川側)を約3.4m隆起させて低断層崖を形成している。1990(平2)年にこの断層崖においてトレンチ調査が実施され、この断層が逆断層であり、7,700年前以降と約2,500年前以降の少なくとも2回にわたる断層活動の跡が確認された。後者には、約400年前の天正地震(1586年)をもたらした断層の活動が含まれることになるが、時間幅がかなり大きいために特定できるような年代値とはなっていない。とはいえ、全体として現在も活発に活動しており、地震を発生する危険度の高い活断層であることは明確となっている。
三尾河断層
三尾河断層は、御母衣(みぼろ)断層系の南部において北西~南東方向に全長約18kmにわたって延びる。同じ御母衣断層系の御母衣断層や加須良(かずら)断層と同じように左横ずれ断層である。また、縦ずれ運動もしており、断層の南西側が隆起している。高山市荘川町寺河戸(てらこうど)において1990(平2)年に行われたトレンチ調査によれば、三尾河断層は7,100年前以前、6,300~4,400年前の間、840年前以後の3回にわたり活動しており、最新の活動は天正地震(1586年)を起こした活動にあたる可能性がある。この調査から、最近の活動間隔は3,600~6,300年とされ、約2,000~3,000年とされる跡津川断層や阿寺断層の活動間隔に比べ、三尾河断層のそれはやや長い。こうした繰り返し起こった断層活動により200mほどの幅で形成された断層破砕帯が荘川町三尾河のマトバ橋の下で見られる。
天正地震
飛騨・美濃・伊勢・近江など広域で被害があり、現白川村で帰雲(かえりぐも)山の大崩壊が発生し、山麓にあった帰雲山城や民家300余戸が埋没し、多数の死者がでたとされる。また、下呂市御厩野(みまやの)にあった大威徳寺(だいいとくじ)が壊滅し、伊勢湾や若狭湾では津波が発生したとされる。これらのことから御母衣(みぼろ)断層、阿寺(あてら)断層、養老断層などの活断層が同時に動いたとされる説、時期はずれたが連続して動いたとされる説などがあり、不明な点が多い。

地質年代