断層名 梅原地震断層
(持成の屈曲)
うめはらじしんだんそう
(もちなりのくっきょく)
  場所 山県市持成
   概 要
   山県市の持成地区は山県市役所の西方にあたる地域にあり、その一画にあたる県道79号関本巣線の南側に多福寺という寺院がある。寺院西側の側壁はもともとはまっすぐに築かれていたはずであるが、異様にS字カーブを描いて道路に面している。これはこの位置で1891(明24)年に濃尾地震を起こした梅原地震断層により2~3mの左ずれを起こしたことで、側壁と道路が屈曲した状態で現在もそのまま残されているものである。この地震断層はそのすぐ西側にあたる高木神社周辺から西方へ上洞(うえぼら)地区に至る山すそに沿って延びており、それに沿ってやぶの中に開口した亀裂が約1.4kmにわたり生じ,湧水をともなって沼地がいくつか形成されたとされている。上洞では土地境界などに2~3mの左横ずれと北東側約70cm低下の縦ずれが起こり、やぶに覆われてわかりにくくなっているが,現在でもずれの一部は確認できる。持成から上洞へかけての地域では縦ずれ運動よりも横ずれ運動が優勢ではあるが、両方のずれが同時にあったことになる。
 
梅原地震断層により横ずれした山県市持成にある多福寺西側の道路の屈曲
(撮影:小井土由光)
 
  ジオ点描
   梅原地震断層においては縦ずれ断層が主体をなすが、大きな高低差を生じなかったこともあり、その段差は削り取られてしまい痕跡があまり残っていない。それに対して横ずれ断層は削り取られることはほとんどないが、目印にあたるものが残っていなければ実質的に削り取られてしまったことと同じになる。目印を残す役目は自然にあるのではなく、すべて人間にあることを確認しておく必要がある。
山県市持成における梅原地震断層沿いにできた沼地の痕跡(2002年撮影)
(撮影:小井土由光)
 
  文 献  
濃尾地震
濃尾地震は根尾谷断層系の温見(ぬくみ)断層、根尾谷断層、梅原断層などが同時に動いたことで発生し、内陸地震としては国内で最大級の規模をもつ地震である。明治時代に入ってから起こったこともあり、大地に現れた地震断層ばかりでなく、被害の状況も詳細な記録として残されている。この地震により、美濃地方で死者4,889人、負傷者12,311人、全壊70,048戸、半壊30,994戸という被害がもたらされた。全国規模でも、死者7,273人という多大な被害を受けたばかりでなく、当時としての先端技術であった鉄道や煉瓦作りの建物に甚大な被害を受けたことで、富国強兵に邁進していた明治政府にとって大きな打撃となった。この災害を契機として耐震構造への関心が強まり、その研究が大きく進展していったり、この地震後に震災予防調査会が設置され、日本における本格的な地震研究がスタートした。




地質年代