断層名 宮川断層(概説) みやがわだんそう
  場所 高山市一之宮町
   概 要
   飛騨一之宮から南西に向かい、一之宮町湯屋付近から位山(くらいやま;標高1,529m)の西方にあたる宮川上流の南東側山腹をツメタ谷源頭部へ向かい、川上岳(かおれだけ;標高1,626m)の北西斜面沿いに直線状に並ぶ断層鞍部をつなげるように通過して小原(おはら)川沿いに延び、そのまま大原(おっぱら)断層につながる活断層である。ツメタ谷源頭部以南の地域では明瞭な変位地形を伴う区間は少ないが、宮川上流部の川上岳西方斜面上に北西向きで雁行する低崖列が生じており、その延長線上で山脚やそれを開析する谷に系統的な右ずれ屈曲が認められる。また、この付近では幾本かの断層が平行して並び、濃飛流紋岩がもろく粉々になって断層粘土をともなった幅数百mの断層破砕帯を形成している場所もある。そこから流れ出した土砂は下流の飛騨一之宮盆地の東端にある水無(みなし)神社付近に堆積して、そこに隙間が多く水はけのよい堆積物による広い河原を作っている。この河原の水は伏流水となって河床にしみ込んでしまうために河原は水無川となっており、高山市の上水道の一部もこの伏流水を利用している。
 
一之宮町の水無神社前における宮川の河原
(撮影:中田裕一)
 
  ジオ点描
   郡上と飛騨を結んでいた郡上街道は、大原断層から宮川断層へつながる断層地形を巧みに利用して設けられている。それらの断層地形は実質的に1本の断層線として見てもよいほど線状につながっており、その延長距離は50~60kmにも達する長大なものとなる。これは同じ右横ずれ断層として同じ方向に延びる跡津川断層に匹敵する規模の断層系とみることもできる。
 
  文 献 岡田篤正・東郷正美・八木浩司・堤 浩之(2008)1:25,000都市圏活断層図 高山周辺の活断層「高山東部」「高山西部」「高山南西部」解説書.国土地理院技術資料D・1-No.519.  
大原断層
大原断層は、高山市一之宮町から清見町大原を通って郡上市明宝(めいほう)へと続く全長約20kmの北東~南西方向に延びる右横ずれ断層で、断層の南東側が上昇傾向にある。北東縁は宮川断層とつながっている。この断層は、北西側の御母衣(みぼろ)断層系の三尾河(みおご)断層と南東側の阿寺断層系の萩原断層とほぼ直交し、両断層系の間に割って入るように延びている。古くから郡上と飛騨を結んでいた郡上街道は、大原断層を含めて同じ方向に形成された断層谷を利用した道であり、郡上から大原へ抜ける坂本峠も大原断層が作り出した鞍部である。同様に、大原から小原(おばら)峠を越えて小原(廃村)へ抜け、小原川沿いから宮川源流部、飛騨一之宮へ至るルートも大原断層に沿う断層谷を利用したものである。
濃飛流紋岩
濃飛流紋岩は、岐阜県の南東端にあたる恵那山(標高2191m)付近から北部の飛騨市古川町付近へかけて、幅約35km、延長約100kmにわたり北西~南東方向にのび、岐阜県の約1/4の面積を占める巨大な岩体である。この岩体を構成する岩石のほとんどは、火砕流として流れ出た火山砕屑物がたまって形成された火砕流堆積物からなり、しかもその大部分は堅硬に固結した溶結凝灰岩になっており、厚さ数百mで、水平方向へ20~60kmの広がりをもち、岩相・岩質が類似した火山灰流シートとして何枚にもわたって重なりあっている。それらは大きく6つの活動期(NOHI-1~NOHI-6)に区分されており、岐阜県内にはNOHI-6だけが分布しない。これらの火山岩類には花崗岩類が密接にともなわれ、それらを含めて大きく2期(第1期火成岩類・第2期火成岩類)に分けられる火山-深成複合岩体を形成している。第1期の活動は白亜紀後期の約8,500万~8,000万年前にあり、NOHI-1とNOHI-2の活動と引き続く花崗岩類の活動があった。第2期の活動は約7,500万~6,800万年前にあり、NOHI-3~NOHI-5(おそらくNOHI-6)の活動と引き続く花崗岩類の活動があった。これらは活動の場所を南部から北部へと移しながら巨大な火山岩体を作り上げた。
跡津川断層
跡津川断層は、富山県の立山付近から南西へ向かって、飛騨市神岡町、宮川町、河合町を通り抜け、白川村の天生(あもう)峠付近までの全長約60kmにも及ぶ大断層であり、岐阜県における大規模な活断層系である阿寺断層系や根尾谷断層系などとともに日本を代表する活断層系の一つである。人工衛星画像でもその直線状の谷地形が明瞭に識別でき、大きく見ると一本の断層線として示されるが、実際には数本の断層が平行して走っていたり、枝分かれしたりしている。河川流路の折れ曲がりや断層崖などの断層地形が各所に残り、断層上のくぼ地には池ヶ原湿原や天生湿原のような湿原が形成されている。この断層は40万~70万年くらい前から活動を始めたとされているが、詳しいことはまだわかっていない。江戸時代末期の1858(安政5)年に起きた飛越地震は、跡津川断層が動いたことで起きたもので、断層沿いに多大な被害をもたらした。


地質年代