対象物 美濃加茂の河岸段丘 みのかものかがんだんきゅう
  場所 美濃加茂市山之上町・加茂野町・西町など
   概 要
   美濃加茂地域では木曽川に飛騨川が合流し、大きくみると両河川に沿って3段(高位・中位・低位)に分けられる河岸段丘が分布する。ただし、それらは一ヶ所で順に階段状に形成されているわけではなく、それぞれの段丘がやや広範囲にわたって分かれて分布している。高位段丘は山之上町周辺などの周囲の山地斜面や丘陵地の上に分布し、ほとんどの地域においては風化してスコップで容易に削れるほど軟らかくなった礫からなる堆積物で構成されている。中位段丘はおもに木曽川に沿う地域とその下流へ向けての関市方面へかけての加茂野台地地域に分布し、おもに木曽谷層相当層で構成され、一部でその上に木曽川泥流堆積物を載せており、細かくみると2段に分けられており、同じ木曽川によって形成された坂下の河岸段丘における松源地(しょうげんち)面や高部(たかべ)面に対応する段丘である。低位段丘は美濃加茂の市街地など木曽川や飛騨川に沿う低地を構成しており、西町のJR高山本線沿いにみられる崖が典型的な段丘崖にあたり、低位段丘内は細かくみるとさらに5段に分けられている。なお、これらの段丘が広がる美濃加茂~可児地域の低地は周囲を山地に囲まれた盆地状の地形をなすが、基本的には瑞浪層群に占められており、そこを木曽川と飛騨川が峡谷をなして深く削んでいるだけであり、この盆地は地質学的にみると盆地ではないことになる。
 
美濃加茂地域周辺の河岸段丘の分布
(撮影:鹿野勘次)
 
  ジオ点描
   河岸段丘は一般に高位・中位・低位段丘の大きく3段に区分され、各段を構成する堆積物に含まれる火山灰の年代などから形成時期を推定している。地形的な段差を識別していくと一律に3段になるわけではなく、堆積物によっては形成時期が定まらないこともある。そのため一般的に区分されている3段の段丘を形成時期も含めて正確に定義できるわけではなく、段丘面の開析程度などで区分されているのが実情である。
 
  文 献 鹿野勘次(1990)美濃加茂周辺地域の第四系.岐阜県地学教育,26巻,11-24頁.
木曽谷層
新期御嶽火山の継母岳火山群の活動により発生した岩屑なだれおよび泥流として木曽川沿いに流れ下り、木曽谷を埋積した堆積物である。最大層厚約50mで、おもに粗粒砂層ないし砂礫層からなり、新期御嶽火山の初期に噴出したPm-1あるいはPm-3と呼ばれる軽石を含むことを特徴としている。中津川市坂下の河岸段丘(松源地面)をはじめとして、加茂野台地や各務原台地などで中位段丘堆積層を形成している。
木曽川泥流堆積物
新期御嶽火山の摩利支天火山群の活動中に発生した大規模な山体崩壊に由来する堆積物で、最初は岩屑なだれとして御嶽山東麓の末川流域に広がり、さらに西野川・王滝川へと下りながら泥流となり木曽川に沿って流れた。泥流相は御嶽火山起源の安山岩岩塊を多量に含む膠結(こうけつ)度の高い基質からなる。中津川市の坂下の河岸段丘(高部面)に載り、美濃加茂市の加茂野台地や各務原市の各務原台地にまで200km以上も流下し、木曽谷層を覆っている。県内での層厚は10~30mである。
坂下の河岸段丘
木曽川の上・中流域には、谷幅が狭いこともあり河岸段丘はあまり残されていないが、中津川市坂下には例外的に大きく4段にわたる段丘面が広がっている。それらは高い方から、松源地(しょうげんち)面、高部(たかべ)面、坂下面、西方寺(さいほうじ)面と呼ばれ、この順序で形成時期が若くなっている。これらのうち松源地面を作る堆積物は木曽谷層であり、高部面には木曽谷泥流堆積物が載り、坂下面は木曽谷層を削って形成された段丘面である。これらの堆積物の中に含まれる御嶽火山の噴出物などから、それぞれの段丘面が形成された時期がわかる。これらの段丘面を北西~南東方向に横切って阿寺断層が通っており、それによりすべての段丘面がずらされ、段丘面、段丘崖、断層崖が交錯することで、みかけ上は複雑な地形分布をなしている。段丘面の形成時期がわかるから、それをずらしていった阿寺断層の活動の過程も解析され、ここは日本で最初に活断層の正確な運動像が確認された場所となっている。
瑞浪層群
新第三紀の中新世に西南日本の古瀬戸内海と呼ばれる海に堆積した地層群の一つで、岐阜県の中濃地方から東濃地方へかけての可児・瑞浪・岩村の3地域に分かれて分布する。可児地域では下位から蜂屋累層、中村累層、平牧累層に、瑞浪地域では同じく土岐夾炭累層、本郷累層、明世累層、生俵累層に、岩村地域では同じく阿木累層、遠山累層にそれぞれ区分されている。これらは、大きくみると淡水域から汽水域、海域へと堆積環境が変化していったが、設楽層群などの他地域に分布する地層群に比べると浅海性の傾向がみられる。

地質年代