対象物 美山鍾乳洞 みやましょうにゅうどう
  場所 郡上市八幡町美山421
   概 要
   かつて「郡上八幡大鍾乳洞」と呼ばれていた観光洞で、郡上地域にある他の鍾乳洞と同様に美濃帯堆積岩類石灰岩内部に作られた鍾乳洞である。多層迷路型の洞穴からなり、東西約150m,南北約90m,高低差約70mの範囲に大きく4層にわたって通路が形成されている。それらは大きく北東~南西方向と北西~南東方向の2方向を向いており、これらの方向に形成された断層や割れ目が拡大して洞穴ができている。洞穴内の通路はそれぞれ地下水の水位を表わしているため、4回にわたりその高さが変化したことになる。その中で最も低い位置にある通路が最も長く、その時期にそれだけ長期にわたり地下水位が保たれたことを示している。
 
美山鍾乳洞の内部
(撮影:鹿野勘次)
 
  ジオ点描
【飛騨大鍾乳洞と共通】 石灰岩の岩体があればどこでも鍾乳洞が形成されてもよさそうであるが、石灰岩を溶かす地下水が必要であり、しかもそれが長期間にわたり定常的に確保されていなければ地下に空洞は形成されない。そうした条件下で空洞が作れられた後に、その内部にさらに長時間をかけて鍾乳石などの“室内装飾”が施されることで初めて見ごたえのある景観が作られるようになる。
八幡町美山にある美山鍾乳洞の入口
(撮影:小井土由光)
 
  文 献 梶田澄雄(1980)郡上八幡の鍾乳洞.梶田澄雄編「日曜の地学11 岐阜の地質をめぐって」.築地書館,77-88頁.
美濃帯堆積岩類
美濃帯は、飛騨外縁帯の南側にあってかなり幅広く分布する地質帯で、岐阜県内でも広範囲にわたる地域を占める。そこは、古生代石炭紀から中生代白亜紀最前期にかけての時期にチャート・石灰岩・砂岩・泥岩・礫岩などの海底に堆積した堆積岩類と海底に噴出した緑色岩(玄武岩質火山岩類)でおもに構成されている。下図に示すように、海洋プレートの上に噴出した玄武岩質火山岩類は海底や火山島(海山)を形成して、その上にチャートや石灰岩・珪質泥岩などを徐々に堆積させながら大陸へ向かって年間数cmほどの速さで移動していく。海洋プレートは海溝部で大陸の下へ沈み込んでいくが、堆積物はいっしょに沈み込むことができず、はぎ取られたり、大陸側から運び込まれた砂岩・泥岩などとともに大陸側へ押し付けられ、混じり合って複合体(コンプレックス)を作りあげていく。こうした作用を付加作用といい、それにより形成された堆積物は付加体堆積物と呼ばれ、これまでそれらを総称して「美濃帯中・古生層」、「美濃帯中生層」、「美濃帯堆積岩コンプレックス」などといろいろな表現で呼ばれてきたが、ここではこれらを「美濃帯堆積岩類」と呼ぶ。それらは、それまで順に重なっていた地層が付加作用にともなって低角の断層を境にして屋根瓦のように繰り返して覆うように重なったり、複雑に混じりあったメランジュと呼ばれる地質体を構成し、整然とした地層として順番に連続して重なるようなことがほとんどない。そのため全域にわたり個々の地層名を付して表現することがむずかしいため、ここでは構成岩石の種類(岩相)によって表現する。これらの構成岩石は単独でも複数の組合せでもある程度の大きさを持つ地質体を形成しており、その大きさはcmオーダーの礫からkmオーダーの岩体までさまざまである。これらは岩相、形成時期、形成過程などの類似性から複数の地質ユニットに区分され、ユニット間は衝上断層で接することが多いが、その区分による表現はここでは用いない。 超丹波帯は、近畿地方において丹波帯(中部地方の美濃帯に相当)とその北側にある舞鶴帯と呼ばれる構造帯との間に存在し、丹波帯が中生代ジュラ紀に付加作用を受けて形成された付加体堆積物で構成されているのに対して、おもに古生代ペルム紀に付加作用を受けて形成された付加体堆積物で構成されている地質帯である。中部地方においては、美濃帯の北縁部で福井県の南条地域と岐阜県の高山市丹生川町地域で分布が確認されているだけである。
石灰岩
美濃帯堆積岩類の中には、金生山の赤坂石灰岩、舟伏山地域の舟伏山石灰岩、石山地域の石山石灰岩などと呼ばれる比較的大きな石灰岩の岩体が分布しており、石灰石資源として採掘されていたり、場所によっては鍾乳洞地帯を形成している。古生代のペルム紀に形成された緑色岩(玄武岩質火山岩類)からなる海山を覆うサンゴ礁を構成していた石灰質生物の遺骸が集積して形成されたものであり、一般に緑色岩と密接にともなって美濃帯堆積岩類の中では最も古い時期に形成された岩石である。



地質年代