木曽谷層
新期御嶽火山の継母岳火山群の活動により発生した岩屑なだれおよび泥流として木曽川沿いに流れ下り、木曽谷を埋積した堆積物である。最大層厚約50mで、おもに粗粒砂層ないし砂礫層からなり、新期御嶽火山の初期に噴出したPm-1あるいはPm-3と呼ばれる軽石を含むことを特徴としている。中津川市坂下の河岸段丘(松源地面)をはじめとして、加茂野台地や各務原台地などで中位段丘堆積層を形成している。
木曽谷泥流堆積物
新期御嶽火山の摩利支天火山群の活動中に発生した大規模な山体崩壊に由来する堆積物で、最初は岩屑なだれとして御嶽山東麓の末川流域に広がり、さらに西野川・王滝川へと下りながら泥流となり木曽川に沿って流れた。泥流相は御嶽火山起源の安山岩岩塊を多量に含む膠結(こうけつ)度の高い基質からなる。中津川市の坂下の河岸段丘(高部面)に載り、美濃加茂市の加茂野台地や各務原市の各務原台地にまで200km以上も流下し、木曽谷層を覆っている。県内での層厚は10~30mである。
御嶽火山
岐阜・長野県境にあって南北約20km、東西約15kmの範囲に広がる山体をなす。それぞれ数万年ほどの活動期間をもつ古期御嶽火山と新期御嶽火山からなり、両者の間に約30万年にわたる静穏期があり、現在も約3万年にわたる静穏期にあたっている。
阿寺断層
中津川市坂下の町は大きく4段に分けられた河岸段丘の上に広がっており、それらを構成する堆積物に含まれる御嶽火山の噴出物などの年代から数万年前以降にできたことがわかっている。これらの段丘群を阿寺断層が横切っており、河岸段丘と断層との関係が詳細に検討されたことで、日本で初めて活断層の様子が明らかにされた場所となっている。段丘面を横切る阿寺断層の北東側は上昇するとともに北西へずれていったため、各段丘面は断層を境に上下左右に食い違いをつくり、断層活動が累積されていく上段の古い段丘面ほど縦ずれ・横ずれの移動量が大きくなっていった。それらの中で最も新しい時期に形成された最下段の段丘もずれていることは、断層が現在も動きつつあることを示している。
地質年代