地 名 中山七里 なかやましちり
  場 所 下呂市三原(さんばら)~金山町金山  指定等 飛騨木曽川国定公園/飛騨・美濃紅葉33選
   概 要
   下呂温泉の南方にあたる下呂市三原の帯雲橋(たいうんきょう)付近から同市金山町金山の馬瀬(まぜ)川合流点付近までの全長約28kmにわたり続く飛騨川の急峻な峡谷である。下呂~金山間の飛騨街道はそれまで5つの峠を越える山中を通る道であったものを、当時の飛騨国主の金森長近が1586(天正14)年に豊臣秀吉の許しを得て飛騨川沿いの険しい難所を約七里(一里≒4km)にわたって開いたことに由来する呼称である。全体にわたり濃飛流紋岩のNOHI-2,3,4を構成する溶結凝灰岩が分布し、そこを飛騨川が浸食している。削られた岩石がとりわけ堅硬であるために、金山町地蔵野付近の釜ヶ淵には奇岩「牙岩(きばいわ)」、保井戸付近には幅約200m、高さ約80mの「屏風岩」の大岩壁、久野川との合流部には「羅漢岩」の岩壁など、浸食に抗した岩肌が多くの景勝地を作っている。
 
金山町地蔵野付近の釡ヶ淵にある奇岩「牙岩」
(撮影:小井土由光)
 
  ジオ点描
   大きな河川の本流がかなりの距離にわたりほぼ同質の地質体の中を流れていると、流路自体に大きな落差を生む要素はほとんどなく、瀑布にあたるものは存在しにくい。その一方で流路全体にわたりV字谷を形成していることは、少なくともこの区間において隆起運動が継続していたことで下刻作用が進行していったことを示しており、その側壁に岩壁がそびえるようになったのもそのためである。
下呂市保井戸付近の飛騨川沿いに露出する巨大岸壁「屏風岩」
(撮影:小井土由光)
 
  文 献 山田直利・小井土由光・原山 智・棚瀬充史・鹿野勘次・田辺元祥・曽根原崇文(2005)濃飛流紋岩の火山層序.地団研専報,53号,29-69頁.
濃飛流紋岩
濃飛流紋岩は、岐阜県の南東端にあたる恵那山(標高2191m)付近から北部の飛騨市古川町付近へかけて、幅約35km、延長約100kmにわたり北西~南東方向にのび、岐阜県の約1/4の面積を占める巨大な岩体である。この岩体を構成する岩石のほとんどは、火砕流として流れ出た火山砕屑物がたまって形成された火砕流堆積物からなり、しかもその大部分は堅硬に固結した溶結凝灰岩になっており、厚さ数百mで、水平方向へ20~60kmの広がりをもち、岩相・岩質が類似した火山灰流シートとして何枚にもわたって重なりあっている。それらは大きく6つの活動期(NOHI-1~NOHI-6)に区分されており、岐阜県内にはNOHI-6だけが分布しない。これらの火山岩類には花崗岩類が密接にともなわれ、それらを含めて大きく2期(第1期火成岩類・第2期火成岩類)に分けられる火山-深成複合岩体を形成している。第1期の活動は白亜紀後期の約8,500万~8,000万年前にあり、NOHI-1とNOHI-2の活動と引き続く花崗岩類の活動があった。第2期の活動は約7,500万~6,800万年前にあり、NOHI-3~NOHI-5(おそらくNOHI-6)の活動と引き続く花崗岩類の活動があった。これらは活動の場所を南部から北部へと移しながら巨大な火山岩体を作り上げた。
溶結凝灰岩
火砕流によりもたらされた堆積物が溶結作用を受けると、その程度により強溶結、弱溶結、非溶結凝灰岩となり、一般には強溶結凝灰岩をさしていう。おもに火山灰が集まって形成された岩石ではあるが、強く圧密化した岩石となり、きわめて堅硬な岩石となる。v
下呂温泉
江戸時代初期に儒学者林 羅山が有馬温泉、草津温泉とともに日本三名泉に数えたことで知られる温泉であり、そのおもな泉源が濃飛流紋岩の中を通るが阿寺断層系の下呂断層に沿って分布している。下呂断層や湯ヶ峰断層などの阿寺断層系の断層沿いに形成された破砕帯などから地下へしみ込んだ地下水が、湯ヶ峰火山のマグマ溜りで温められ、下呂断層の破砕帯に沿って形成された飛騨川の低所に湧き出していると考えられている。


地質年代