地 名 飛水峡 ひすいきょう
  場 所 白川町/七宗町  指定等 飛騨木曽川国定公園/日本の地質百選
   概 要
   白川町白川口付近から七宗町上麻生(かみあそう)に至る飛騨川沿いに約12kmにわたり続く峡谷で、美濃帯堆積岩類のおもにチャート砂岩からなる岩盤の中を飛騨川が深く下刻して流れている。そのうち下流部の2kmほどの区間は“ロックガーデン”と呼ばれ、流路の両側にチャートの岩盤が段丘状に広がり、そこに1000個に及ぶとされる甌穴が形成されており、「飛水峡の甌穴群」として国の天然記念物に指定さている。なお、飛水峡の上流部にあたる上麻生ダム付近において1968(昭43)年に発生した土石流により飛騨川バス転落事故が起きている。
 
七宗町上麻生付近の飛騨川沿いにみられる飛水峡の景観
(撮影:鹿野勘次)
 
  ジオ点描
   飛騨川は飛騨金山より上流側の「中山七里」と下流側へ20kmほど下った白川口から始まる「飛水峡」はともにV字谷を作り、交通の難所として避けられてきたほどの峡谷である。そのうち前者は均質で堅硬な濃飛流紋岩を削り込み、それが作る岩壁で特徴づけられるのに対して、後者は不均質で硬軟混ざった美濃帯堆積岩類を削り込み、大きな岩壁にあたるものは見られず、峡谷の景観にかなりの違いがみられる。
 
  文 献 水谷伸治郎・小井土由光(1992)金山地域の地質.地域地質研究報告(5万分の1地質図幅),地質調査所,111頁.
美濃帯堆積岩類
美濃帯は、飛騨外縁帯の南側にあってかなり幅広く分布する地質帯で、岐阜県内でも広範囲にわたる地域を占める。そこは、古生代石炭紀から中生代白亜紀最前期にかけての時期にチャート・石灰岩・砂岩・泥岩・礫岩などの海底に堆積した堆積岩類と海底に噴出した緑色岩(玄武岩質火山岩類)でおもに構成されている。下図に示すように、海洋プレートの上に噴出した玄武岩質火山岩類は海底や火山島(海山)を形成して、その上にチャートや石灰岩・珪質泥岩などを徐々に堆積させながら大陸へ向かって年間数cmほどの速さで移動していく。海洋プレートは海溝部で大陸の下へ沈み込んでいくが、堆積物はいっしょに沈み込むことができず、はぎ取られたり、大陸側から運び込まれた砂岩・泥岩などとともに大陸側へ押し付けられ、混じり合って複合体(コンプレックス)を作りあげていく。こうした作用を付加作用といい、それにより形成された堆積物は付加体堆積物と呼ばれ、これまでそれらを総称して「美濃帯中・古生層」、「美濃帯中生層」、「美濃帯堆積岩コンプレックス」などといろいろな表現で呼ばれてきたが、ここではこれらを「美濃帯堆積岩類」と呼ぶ。それらは、それまで順に重なっていた地層が付加作用にともなって低角の断層を境にして屋根瓦のように繰り返して覆うように重なったり、複雑に混じりあったメランジュと呼ばれる地質体を構成し、整然とした地層として順番に連続して重なるようなことがほとんどない。そのため全域にわたり個々の地層名を付して表現することがむずかしいため、ここでは構成岩石の種類(岩相)によって表現する。これらの構成岩石は単独でも複数の組合せでもある程度の大きさを持つ地質体を形成しており、その大きさはcmオーダーの礫からkmオーダーの岩体までさまざまである。これらは岩相、形成時期、形成過程などの類似性から複数の地質ユニットに区分され、ユニット間は衝上断層で接することが多いが、その区分による表現はここでは用いない。
チャート
一般には硬く緻密な微粒珪質堆積岩の総称であり、美濃帯堆積岩類を構成する主要な岩石の一つとして特徴的に産する。厚く層状に分布することが多く、これを層状チャートと呼ぶ。一部に古生代ペルム紀のものも含まれるが、ほとんどは中生代三畳紀~ジュラ紀前期に海底に堆積した放散虫などのプランクトンからなる遠洋性の堆積物で、陸源砕屑物をまったく含まない。
砂岩
美濃帯堆積岩類において、海洋プレートが大陸縁辺に近づき、海溝で沈み込んでいく際に陸域から供給される砕屑物である。それぞれが単独の地質体を作る場合もあれば、互層をなす場合もあり、前者においては厚い砂岩層としてしばしば産する。これらの多くは海底地すべりにより混濁流としてもたらされたタービダイトを形成している。
甌穴
河床や河岸の表面が堅硬な岩石でできている場合に、そこに割れ目などの弱い部分があると浸食されて凹みを作り、その中に礫が入ると渦流によって礫が回転して円形の穴に拡大していくことで形成される。堅硬な岩石であればその種類は問わず形成され、国指定の天然記念物「飛水峡の甌穴群」は美濃帯堆積岩類のチャートがえぐられている。
飛水峡の甌穴群
白川町白川口から七宗町上麻生までの約12kmにわたる飛騨川は飛水峡と呼ばれ、飛騨川が美濃帯堆積岩類のチャート層と砂岩層を深く削り込んでいる。その下流部約2kmの間は「ロックガーデン」と呼ばれ、チャート層が段丘状に広がる特異な景観を作り、そこに大小さまざまな甌穴(ポットホール)群が形成されている。その数は直径1m以上のものだけでも500個を越え、全体で1000個に及ぶとされ、その数や大きさにおいて日本を代表する地域となっている。
飛騨川バス転落事故
白川町白川口より下流の飛騨川沿いにおいて、そこへ流れ込む小さな谷で土石流が発生し、国道41号を走っていた観光バス2台がそれに巻き込まれ、増水していた飛騨川に転落して飛水峡の激流にのみこまれ、乗員・乗客107名のうち104名が死亡した。土石流の発生した谷をおもに構成している岩石は濃飛流紋岩を貫く比較的大きな花崗斑岩の岩体である。全体として堅硬な岩石であることから、特別に土石流を起こしやすい性質を持っているわけではない。おそらくそれらの崖錐が急傾斜の谷に埋積していたところへ集中豪雨があり、多量の水が埋積物を押し出したことで土石流となったと考えられる。日本のバス事故史上における最悪の事故とされ、その慰霊碑がすぐ近くの国道41号脇に「天心白菊の搭」として建立されている。
中山七里
下呂市三原の帯雲橋(たいうんきょう)付近から同市金山町金山の境橋付近までの全長約28kmにわたり続く急峻な峡谷で、濃飛流紋岩のNOHI-2,3,4を構成する溶結凝灰岩を飛騨川が浸食している。削られた岩石がとりわけ堅硬であるために、金山町地蔵野付近の釜ヶ淵には奇岩「牙岩」、保井戸付近には幅約200m、高さ約80mの「屏風岩」の大岩壁、久野川との合流部には「羅漢岩」の岩壁など、浸食に抗した岩肌が多くの景勝地を作っている。
濃飛流紋岩
濃飛流紋岩は、岐阜県の南東端にあたる恵那山(標高2191m)付近から北部の飛騨市古川町付近へかけて、幅約35km、延長約100kmにわたり北西~南東方向にのび、岐阜県の約1/4の面積を占める巨大な岩体である。この岩体を構成する岩石のほとんどは、火砕流として流れ出た火山砕屑物がたまって形成された火砕流堆積物からなり、しかもその大部分は堅硬に固結した溶結凝灰岩になっており、厚さ数百mで、水平方向へ20~60kmの広がりをもち、岩相・岩質が類似した火山灰流シートとして何枚にもわたって重なりあっている。それらは大きく6つの活動期(NOHI-1~NOHI-6)に区分されており、岐阜県内にはNOHI-6だけが分布しない。これらの火山岩類には花崗岩類が密接にともなわれ、それらを含めて大きく2期(第1期火成岩類・第2期火成岩類)に分けられる火山-深成複合岩体を形成している。第1期の活動は白亜紀後期の約8,500万~8,000万年前にあり、NOHI-1とNOHI-2の活動と引き続く花崗岩類の活動があった。第2期の活動は約7,500万~6,800万年前にあり、NOHI-3~NOHI-5(おそらくNOHI-6)の活動と引き続く花崗岩類の活動があった。これらは活動の場所を南部から北部へと移しながら巨大な火山岩体を作り上げた。
地質年代