地 名 池田山 いけだやま
  場 所 池田町/揖斐川町  指定等 ぎふ百山/揖斐関ヶ原養老国定公園
   概 要
   伊吹山地の東端にあり、すべて美濃帯堆積岩類からなる山塊である。比較的なだらかな山頂部(標高924m)付近は「池田の森」として整備され、そこから東方の濃尾平野への展望がきわめてよいために広大なパノラマ景観や夜景が楽しめる場所になっている。また、山麓から吹き上げる上昇気流を利用したハンググライダー、パラグライダーのスカイスポーツが楽しめる山としても知られている。これらは東斜面がかなり急斜面となって濃尾平野と接していることで可能にしているものであり、この急崖は池田山断層の断層崖にあたっている。
 
池田町にある池田山のハングライダー離陸場
(撮影:鹿野勘次)
 
  ジオ点描
【根の上高原と共通】 仮に5,000年に1回起こる断層運動で5mずれて高くなるとすると、100万年で1,000mの高さを生じる。これは1年に1mmの割合で連続して100万年間上昇し続けた場合とまったく同じになる。大地のきわめてわずかな変化はまったく気の付かないことであり、活動間隔が大きく開いた変化にもまったく遭遇しないまま推移していく。どちらも知らぬ間に大地の変化が起きてしまったことになる。
 
  文 献
美濃帯堆積岩類
美濃帯は、飛騨外縁帯の南側にあってかなり幅広く分布する地質帯で、岐阜県内でも広範囲にわたる地域を占める。そこは、古生代石炭紀から中生代白亜紀最前期にかけての時期にチャート・石灰岩・砂岩・泥岩・礫岩などの海底に堆積した堆積岩類と海底に噴出した緑色岩(玄武岩質火山岩類)でおもに構成されている。下図に示すように、海洋プレートの上に噴出した玄武岩質火山岩類は海底や火山島(海山)を形成して、その上にチャートや石灰岩・珪質泥岩などを徐々に堆積させながら大陸へ向かって年間数cmほどの速さで移動していく。海洋プレートは海溝部で大陸の下へ沈み込んでいくが、堆積物はいっしょに沈み込むことができず、はぎ取られたり、大陸側から運び込まれた砂岩・泥岩などとともに大陸側へ押し付けられ、混じり合って複合体(コンプレックス)を作りあげていく。こうした作用を付加作用といい、それにより形成された堆積物は付加体堆積物と呼ばれ、これまでそれらを総称して「美濃帯中・古生層」、「美濃帯中生層」、「美濃帯堆積岩コンプレックス」などといろいろな表現で呼ばれてきたが、ここではこれらを「美濃帯堆積岩類」と呼ぶ。それらは、それまで順に重なっていた地層が付加作用にともなって低角の断層を境にして屋根瓦のように繰り返して覆うように重なったり、複雑に混じりあったメランジュと呼ばれる地質体を構成し、整然とした地層として順番に連続して重なるようなことがほとんどない。そのため全域にわたり個々の地層名を付して表現することがむずかしいため、ここでは構成岩石の種類(岩相)によって表現する。これらの構成岩石は単独でも複数の組合せでもある程度の大きさを持つ地質体を形成しており、その大きさはcmオーダーの礫からkmオーダーの岩体までさまざまである。これらは岩相、形成時期、形成過程などの類似性から複数の地質ユニットに区分され、ユニット間は衝上断層で接することが多いが、その区分による表現はここでは用いない。
池田山断層
池田山断層は、伊吹山地の東端にある池田山(標高924m)の東麓を旧揖斐川町西部から大垣市北部へかけて北北西~南南東方向に約16kmにわたり延びている。濃尾平野の平坦地から比高約700mの急崖が形成され、この直線的に延びる急崖を池田山断層崖と呼ぶ。池田山の山塊は隆起していくにつれて削られ、大量の土砂が平野部へ流出することで山麓には霞間ヶ渓(かまがたに)のような扇状地が形成された。こうした扇状地堆積物は断層の位置をわかりにくくしているが、そのほぼ真上にあたる扇状地の上では落差2~3mの撓曲崖が形成されている。1998(平10)年にこの撓曲崖を掘削してトレンチ調査が行なわれ、山地側が平地側の上に乗り上げている逆断層であり、約1,300年前の地層を変形させており、断層の活動間隔は少なくとも870年以上であることが明らかにされている。こうした活動の繰り返しにより池田山の山塊が形成されていった。



地質年代