地 名 池ヶ原湿原 いけがはらしつげん
  場 所 飛騨市宮川町洞  指定等 県立自然公園/県名水50選
   概 要
   飛騨市宮川町の東部にあり、30~40万株ものミズバショウが咲くことで知られている湿原である。跡津川断層の上にできたくぼ地にあたり、湿原に堆積した地層で得られた年代値から約7,000年前からここで池と湿原の状態が繰り返されていたことがわかっている。全長約60kmを越える跡津川断層はほとんど1本の断層線で示されるが、この付近では明確に2本に分かれて平行に走り、湿原はそれらを跨ぐように広がっている。断層線に挟まれる位置に丸山と呼ばれる小山があり、1858(安政5)年に飛越地震を起した際にできたとされている。湿原から北に流れ出る洞谷と南西に流れ出る菅沼谷は跡津川断層をはさんで約2km離れているが、もともとはまっすぐつながっていた流路が繰り返される右横ずれの運動でずれて分かれていったものである。
 
宮川町洞にある池ヶ原湿原の景観
(撮影:寺門隆治)
 
  ジオ点描
【断層と湿原に共通】 断層は大地が破壊されている部分であり、水を通す地下水脈になりやすい。同時に、断層に沿って形成される断層粘土は水を通しにくくしており、地下水を堰き止める役割を果たしている。地形的低所で地下水脈が地表に達していたり、地下水が堰き止められて地下水位が上昇することで湧水がもたらされる。地下水の湧水位置は断層の存在を決める上での有力な手がかりとなる。
 
  文 献 下畑五夫(1977)池ヶ原湿原の研究(その1).岐阜県地学教育,13巻,10-17頁.
跡津川断層
跡津川断層は、富山県の立山付近から南西へ向かって、飛騨市神岡町、宮川町、河合町を通り抜け、白川村の天生(あもう)峠付近までの全長約60kmにも及ぶ大断層であり、岐阜県における大規模な活断層系である阿寺断層系や根尾谷断層系などとともに日本を代表する活断層系の一つである。人工衛星画像でもその直線状の谷地形が明瞭に識別でき、大きく見ると一本の断層線として示されるが、実際には数本の断層が平行して走っていたり、枝分かれしたりしている。河川流路の折れ曲がりや断層崖などの断層地形が各所に残り、断層上のくぼ地には池ヶ原湿原や天生湿原のような湿原が形成されている。この断層は40万~70万年くらい前から活動を始めたとされているが、詳しいことはまだわかっていない。江戸時代末期の1858(安政5)年に起きた飛越地震は、跡津川断層が動いたことで起きたもので、断層沿いに多大な被害をもたらした。v
飛越地震
飛騨北部・越中で被害が大きく、とくに岐阜県内では跡津川断層沿いに被害が集中しており、全壊319戸、死者203名とされ、山崩れも多かった。とくに断層の南東側に比べて北西側で家屋の倒壊が多く、断層が北側から南側へ突き上げて動いたために北東側で震動が大きくなった。富山県側では、常願寺川の上流が山崩れで堰き止められ、のちにそれが決壊して富山平野で大洪水を起こした。



地質年代