地 名 千本松原 せんぼんまつばら
  場 所 海津市海津町油島(あぶらじま)  指定等 国の史跡名勝/県立自然公園
   概 要
   濃尾平野における木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)は濃尾傾動運動により西に偏って流れ、下流ほど互いに接近して養老山地に掃き寄せられるように流れる。そのため西側の揖斐川に大きな負担がかかるようになり、治水上は三川を分流させることでそれぞれ独立に伊勢湾へ排水する工事が必要になる。ここは江戸時代の宝暦年間(1753~55年)に幕府の命令で薩摩藩が行なった分流工事のうち当時の木曽川と揖斐川に分流堤が築かれた場所であり、そこに堤防補強を目的として多数の松が植えられたことでこの名がある。「油島千本松締切堤」ともいう。この分流工事は多数の犠牲者を出した難工事であったため、河口側の南端に薩摩藩士の慰霊と宝暦治水の偉業を記念する「宝暦治水碑」があり、上流側の北端に「治水神社」が祀られている。
 
木曽三川公園センターの展望タワーからみた千本松原
(撮影:鹿野勘次)
 
  ジオ点描
   大きな河川において、しかも流量の多い下流域において1本の河川流路を2本に分けるということはとてつもなく困難な作業のはずである。歴史的な経緯・背景があるから成り立つような事業であるとしても、現実にかなりの犠牲があったからこそ可能にした事業であった。そこまでしなければならない自然立地条件の中で人間は生活していることを象徴している景観とみる必要がある。
 
  文 献
濃尾傾動運動
濃尾平野の西端において北北西~南南東方向に走る養老断層を境に、西側の養老山地側が上昇し、東側の濃尾平野側が沈降しており、平野部だけをとりだすと西側ほど沈降し、東側の三河高原側が上昇することで全体が西へ傾く運動となる。この運動は数百万年前から始まり,平均して0.5mm/年ほどの速度で平野部が沈降しており、現在も続いている。常に連続して沈み続けているわけではないから日常の生活ではまったくわからないが,平野の中を流れる木曽三川 (木曽川・長良川・揖斐川) が河口に近づくにつれて養老山地側へ偏っていくのはこのためである。




地質年代