化石名 可児川足跡化石群 かにがわあしあとかせきぐん
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地層名 瑞浪層群平牧累層
(可児市兼杖(かねつえ) 可児川・久々利(くくり)川の合流点付近)
対象時代 新第三紀中新世
概要    可児市兼杖の可児川と久々利川の合流点付近において2009(平21)年初春から河川敷の改修工事が始まり、河床が掘り下げられた上にその後の洪水で河床が広範囲に削られて瑞浪層群の平牧累層が露出した。そこから同年6月に足跡化石が発見されたことで、当初は同年10月からの工事計画を約半年ほど延期して詳細な調査や掘削作業が集中的に進められた。ただし、翌年の3月には当初の改修工事を完了させたことで河川敷に露出した足跡化石はすべて削られてしまっている。足跡化石が刻印されていた地層からは約1800万年前という年代値が得られており、おもに塊状凝灰質シルト層が広く平面状に露出した河川敷の表面の凹みに淡黄褐色の中粒~粗粒砂岩が埋まった状態で、その中に2層にわたり足印がみられ、とりわけその上位層においては約300㎡の範囲に約650個の足跡化石が密集して産出していた。足跡を付けた動物としては偶蹄類(シカの仲間)、奇蹄類(サイやバクの仲間)、長鼻類(ゾウの仲間)などが考えられており、これらは平牧動物化石群に相当する動物群であり、足跡の分布状態から10個の行跡も認められている。刻印されている地層の堆積物や堆積状態、同時に得られた大型植物、珪藻、樹幹、生痕・褐炭の化石などから当時の環境が復元され、足跡は緩やかに流れる浅い水深の河川沿いに形成された後背湿地のような場所に残されたものであり、周囲に森林が広がっているような哺乳動物が生息しやすい比較的温暖な環境であったと考えられている。
ジオ点描    この化石群の規模は中新世の地層において1地点から産出したものとしては日本で最大である。それだけ貴重であり、そのまま保存したいところである。人間の生活にとって必要な河川改修工事で露出したとはいえ、すべて削り取られてしまうことでその工事は完了する宿命をもっていた。そのため地質調査をはじめ、写真撮影、スケッチなどの詳細な記録が後世に残す貴重な“実物資料”となることを忘れてはならない。
文献
  • 鹿野勘次・藤岡比呂志・酒向光隆・伊奈治行(2010)岐阜県可児市の瑞浪層群から産出した哺乳動物の足跡化石群.岐阜県可児市の瑞浪層群 可児川足跡化石群調査報告書,1-29頁,美濃加茂自然史研究会.
  • 写真 可児市兼杖の可児川河床に露出した足跡化石の産状(スケールは1m)
    (撮影:鹿野勘次)
    写真 可児川河床に露出した足跡化石にみられる5歩の行跡(スケールは1m)
    (撮影:鹿野勘次)
    平牧動物化石群
    瑞浪層群の平牧累層から産出するアネクテンスゾウ(ゴンフォテリウム)、ヒラマキウマ(アンキテリウム)、ムカシバク、カニサイ、ミノジカ、カバに似たブラキオダスなどの陸生の化石哺乳類で代表され、日本の代表的な中新世前~中期の化石哺乳類群を指す名称として使われている。これらはユーラシア大陸に生息していた動物群と関連していたのに対して、これとほぼ同時期かやや後の時代に当時の北太平洋岸に生息していた動物群と関連していた海生の動物化石群(戸狩動物群または明世動物群)が明世累層から産出するデスモスチルスやパレオパラドキシアなどである。




    地質年代
    瑞浪層群
    新第三紀の中新世に西南日本の古瀬戸内海と呼ばれる海に堆積した地層群の一つで、岐阜県の中濃地方から東濃地方へかけての可児・瑞浪・岩村の3地域に分かれて分布する。可児地域では下位から蜂屋累層、中村累層、平牧累層に、瑞浪地域では同じく土岐夾炭累層、本郷累層、明世累層、生俵累層に、岩村地域では同じく阿木累層、遠山累層にそれぞれ区分されている。これらは、大きくみると淡水域から汽水域、海域へと堆積環境が変化していったが、設楽層群などの他地域に分布する地層群に比べると浅海性の傾向がみられる。
    平牧累層
    可児地域に分布する瑞浪層群のうち上部層を構成し、可児市から御嵩町へかけての地域に分布する。層厚は80m以上で、凝灰角礫岩や巨岩塊を含む凝灰岩などからなる下部層と凝灰質砂岩などからなる上部層に分けられている。ゴンフォテリウムというゾウやアンキテリウムという小型のウマなどの哺乳動物化石が産出したことで知られており、平牧動物化石群と呼ばれている。湖沼性の貝類化石や温暖性の植物化石が含まれている。