徳山ダム
揖斐川の治水(洪水調節)、東海3県の利水(不特定利水・上水道・工業用水)および発電などの多目的ダムとして建設された。堤体および堪水域はすべて美濃帯堆積岩類の分布域にあり、総貯水容量6億6,000万m3という日本最大規模の貯水量を支える堤体として体積の大きいロックフィルダムが採用されているものと思われる。また、堪水域の主体をなす揖斐川本流沿いには揖斐川断層が北西~南東方向に延びることもダム形式と無関係ではなさそうである。とりわけ、この断層は根尾谷断層系でありながら、1891(明24)年の濃尾地震の際にはまったく動いておらず、将来の活動時における巨大ダムとのかかわり(湖水の津波など)は注目しておいてよい。全国的にみると、巨大ダムの設置場所の確保が困難になりつつあり、ダム建設事業への疑問などもあり、事実上の日本最後の巨大ダム建設になるとされている。
根尾谷断層
根尾谷断層は、全長約80kmにわたり複数の活断層群からなる根尾谷断層系のうち、岐阜・福井県境にある能郷(のうご)白山(標高1617m)付近からほぼ根尾川沿いに南下し、岐阜市北端部に至る約35kmの長さをもつ活断層である。全体として左横ずれ変位が卓越し、北東側が沈下する縦ずれ変位をともなう運動を起こしている。根尾谷断層系のほぼ中央において比較的活発に動いてきた断層であることもあり、しばしば「根尾谷断層系」とまったく同義に使われて混乱を招いており、厳密には明確に区別して扱う必要がある。1891(明24)年にとりあえず最後の活動を起こして濃尾地震をもたらし、その際に形成された地表の変位を「根尾谷地震断層」と呼び、その代表例が国の特別天然記念物に指定されている通称「水鳥(みどり)の断層崖」である。これも単に“根尾谷断層”と呼ばれることが多く、日本地質学会もここを“根尾谷断層”として「日本の地質百選」に選定している。
根尾谷断層系
「根尾谷断層系」は、全長約80kmにもおよぶ長大な活断層群の総称であり、何本もの活断層で構成された長大な活断層帯を形成している。それらのうち、岐阜・福井県境の能郷(のうご)白山(標高1617m)付近から根尾川沿いに南下して岐阜市北端部へ至る、おおよそ1本の断層線で示される活断層を「根尾谷断層」と呼ぶ。根尾谷断層系の活断層にほぼ沿って1891(明24)年に動いた地震断層群の総称を「濃尾地震断層系」と呼び、そのうちの1本として根尾谷断層も動き「根尾谷地震断層」を形成した。根尾谷断層系は、何回も活動を繰り返してきた中でとりあえず最後の大きな活動として濃尾地震断層系を形成し、そのときの震動が濃尾地震である。根尾谷断層系を構成する各活断層は今後も活動し続けるはずであり、決して最後ではないから、濃尾地震断層系は“とりあえず最後の活動”となる。
濃尾地震
濃尾地震は根尾谷断層系の温見(ぬくみ)断層、根尾谷断層、梅原断層などが同時に動いたことで発生し、活断層型(直下型)地震としては国内で最大級の規模をもつ地震である。明治時代に入ってから起こったこともあり、大地に現れた地震断層ばかりでなく、被害の状況も詳細な記録として残されている。この地震により、美濃地方で死者4,889人、負傷者12,311人、全壊70,048戸、半壊30,994戸という被害がもたらされた。全国規模でも、死者7,273人という多大な被害を受けたばかりでなく、当時としての先端技術であった鉄道や煉瓦作りの建物に甚大な被害を受けたことで、富国強兵に邁進していた明治政府にとって大きな打撃となった。この災害を契機として耐震構造への関心が強まり、その研究が大きく進展していったり、この地震後に震災予防調査会が設置され、日本における本格的な地震研究がスタートした。
梅原断層
梅原断層は根尾谷断層系の南東端を構成し、山県市南東部から岐阜市北東部、関市南部を経て坂祝(さかほぎ)町に至る全長約35kmにわたって延びる。ただし、根尾谷断層と異なり、ほとんどの地域で沖積層の下を通過しているため、それに隠されて実態は把握しにくかった。1891(明24)年に濃尾地震を起した際に形成された梅原地震断層が旧伊自良村から関市を経て美濃加茂市に至る低地に沿って変位を生じさせたことで、その位置が明確になった。梅原地震断層は根尾谷地震断層と同時に動いているが、性格はかなり異なり、全体を通じて横ずれ運動よりも南西側を隆起させる縦ずれ運動が卓越しており、その量は最大で約2.4mであった。
地質年代