断層名 阿寺断層(坂下の断層崖) あてらだんそう
(さかしたのだんそうがい)
地図 地図を見る
場所 中津川市坂下
概要    中津川市坂下の町は、山間部における木曽川が長野県から岐阜県へ流れ込んでから最初に形成した開けた谷底平野にあり、大きく4段に分けられた河岸段丘の上に広がっている。これらの段丘群は木曽川が運んできた堆積物からなり、それらに含まれる御嶽火山の噴出物の年代から全体としては数万年前以降に形成され、他地域との対比などから各段丘が形成された時期がおおよそ明らかになっている。これらの段丘群すべてを阿寺断層が横切って左横ずれと縦ずれを起こしており、各段丘面は断層を境に上下左右に食い違いをつくり、段丘崖と断層崖が合わさって街の中に多くの坂道を作っている。断層北東側の段丘面は上昇するとともに北西へずれていったため、断層活動が累積されていく上段の古い段丘面ほど縦ずれ・横ずれの移動量が大きくなっていった。それらの中で最も新しい時期に形成された最下段の段丘もずれていることは、断層がごく最近においても動きつつあることを示している。こうした河岸段丘と断層との関係が詳細に検討されることで、日本で初めて活断層の活動状態が明らかにされた場所となっている。
ジオ点描    木曽川は濃尾平野に至って初めて第四紀層の中を流れるようになり、それまでは新第三紀以前に形成された基盤岩類の中を流れており、そのほぼ全域にわたり渓谷を作っている。そのため流路沿いに階段状の河岸段丘を形成して分布する場所はかなり限られ、坂下地区は例外的ともいえる場所である。そこを活発に動く活断層が横切り、しかもそこですべての段丘面・段丘崖がずらされるようになったのは偶然である。
文献
  • 杉村 新(1973)大地の動きをさぐる.岩波書店,236頁.
  • 写真 坂下における阿寺断層の断層崖(新しい段丘面における約10mのずれ)
    (撮影:小井土由光)
    写真 坂下の上鐘団地西側における阿寺断層の断層崖(古い段丘面における約16.5mのずれで、その崖下に家屋が建っている。遠方は恵那山。)
    (撮影:小井土由光)
    河岸段丘
    木曽川の上・中流域には、谷幅が狭いこともあり河岸段丘はあまり残されていないが、中津川市坂下には例外的に大きく4段にわたる段丘面が広がっている。それらは高い方から、松源地(しょうげんち)面、高部(たかべ)面、坂下面、西方寺(さいほうじ)面と呼ばれ、この順序で形成時期が若くなっている。これらのうち松源地面を作る堆積物は木曽谷層であり、高部面には木曽谷泥流堆積物が載り、坂下面は木曽谷層を削って形成された段丘面である。これらの堆積物の中に含まれる御嶽火山の噴出物などから、それぞれの段丘面が形成された時期がわかる。これらの段丘面を北西~南東方向に横切って阿寺断層が通っており、それによりすべての段丘面がずらされ、段丘面、段丘崖、断層崖が交錯することで、みかけ上は複雑な地形分布をなしている。段丘面の形成時期がわかるから、それをずらしていった阿寺断層の活動の過程も解析され、ここは日本で最初に活断層の正確な運動像が確認された場所となっている。
    御嶽火山
    岐阜・長野県境にあって南北約20km、東西約15kmの範囲に広がる山体をなす。それぞれ数万年ほどの活動期間をもつ古期御嶽火山と新期御嶽火山からなり、両者の間に約30万年にわたる静穏期があり、現在も約3万年にわたる静穏期にあたっている。



    地質年代