富士見台高原
恵那山(標高2191m)から北東へ連なる山稜部にあたり、標高1739mを最高点として緩やかに起伏する高原である。すべて濃飛流紋岩のNOHI-1を構成する恵那火山灰流シートからなる。面積約1,000haにわたり一面を千島笹が生い茂っていることから眺望がきわめて良く、恵那山、飛騨山脈、木曽山脈、赤石山脈などの大パノラマが楽しめる。ただし富士山は見えない。高原の南側には古代東山道の中で最大の難所といわれた神坂(みさか)峠があり、高原の真下にあたる位置を中央自動車道の恵那山トンネルが貫いており、昔から現在に至るまで交通の要所としての役割を担っている場所となっている。
逆断層
大地に力が加わって壊され、特定の面に沿ってずれて食い違いが生じた状態を断層といい、食い違いが垂直方向に生じた「縦ずれ断層」と水平方向に生じた「横ずれ断層」に大別される。そのうち縦ずれ断層において、引っ張る力により生じた場合を「正断層」、押す力により生じた場合を「逆断層」という。これを実際に見える断層のずれ方で表現すると、前者は断層面を境に上側(上盤)が下側(下盤)に対してずれ下がる場合、後者はずれ上がる場合となる。
瑞浪層群
新第三紀の中新世に西南日本の古瀬戸内海と呼ばれる海に堆積した地層群の一つで、岐阜県の中濃地方から東濃地方へかけての可児・瑞浪・岩村の3地域に分かれて分布する。可児地域では下位から蜂屋累層、中村累層、平牧累層に、瑞浪地域では同じく土岐夾炭累層、本郷累層、明世累層、生俵累層に、岩村地域では同じく阿木累層、遠山累層にそれぞれ区分されている。これらは、大きくみると淡水域から汽水域、海域へと堆積環境が変化していったが、設楽層群などの他地域に分布する地層群に比べると浅海性の傾向がみられる。
瀬戸層群
東海層群のうち濃尾平野の地下を含めて伊勢湾以東の地域に分布する地層群で、岐阜県地域では東濃地方に分布し、下部層をなす土岐口陶土層と上部層をなす土岐砂礫層からなる。この地域では火山灰層がほとんど含まれないことで、内部層序あるいは地層対比がむずかしく、近接した地域でも堆積物相互の関係が明確にできない。
土岐口陶土層
瀬戸層群の下部層を構成し、土岐市土岐津町土岐口周辺から多治見市へかけての地域に分布し、それより東方の瑞浪市・恵那市・中津川市の地域に点在して分布する。層厚は20~30mであり、粘土層を主体とする地層からなる。粘土層は、おもに石英粒を含む粘土(蛙目(がえろめ)粘土)、炭質物を含む粘土(木節(きぶし)粘土)、石英砂(珪砂)に分けられ、それらの層序や層相は場所によりかなり異なり、対比もむずかしい。これらは一辺が数~十数kmの小さい凹地に分かれて分布し、それぞれで耐火粘土鉱床として採掘されていったが、やがて枯渇することで多くの地域で廃鉱となっている。
丸原鉱山
恵那山断層の北側に形成された低地に堆積した瀬戸層群の中で、上部層をなす土岐砂礫層を剥がして、下部層である土岐口陶土層を露天掘りで採掘している。一般に土岐口陶土層はいくつもの小規模な堆積盆地に分かれて堆積しており、鉱量に限度があるため、掘削を続ければ次第に枯渇していく。そうした中で稼働を続けている数少ない鉱山である。
岩村城跡
恵那山断層の南東側が隆起して形成された断層崖の上にあり、自然の峻険な地形を巧みに利用し、12世紀から16世紀にかけて作られた幾段もの堅牢な石垣で守られた山城である。この石垣を作っている石の個数は40,000個といわれ、すべて伊奈川花崗岩からなる。この花崗岩は岩村地域周辺にかなり広範囲に分布しているが、多くは砂状に風化してマサ化している。岩村城周辺で大量の堅固な石が確保できるのは岩村町の東に隣接する阿木(あぎ)川流域だけであり、言い伝えでは、農民が阿木川より石を運び上げたといわれている。この城には籠城戦に備えて17ヶ所も井戸が掘られ、城内の海抜695mの所にある「霧ヶ井」は今も水が湧き出ている。山の高所でも水が得られる理由は、周囲に分布する摺古木(すりこぎ)花崗岩の内部に割れ目(節理)が多く、さらに恵那山断層に沿って破砕を受けて亀裂が多くなり、水を蓄える性質を持つためである。
地質年代