断層名 跡津川断層(断崖「長とら」) あとつがわだんそう
(だんがいながとら)
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場所 飛騨市宮川町丸山
概要    飛騨市宮川町丸山は、跡津川断層と宮川の流路がほぼ一致する宮川町野首(のくび)から巣之内(すのうち)までの間にあり、宮川の川幅の比較的広い谷の中にある。1858(安政5)年に飛越地震を起こして動いた際に形成された断層崖が谷の右岸(南岸)に沿って走る国道360号の北側脇に2~3mの高さで現在も残っている。この地震の振動により対岸の宮川左岸(北岸)では「長とら」と呼ばれる断崖が一瞬のうちに崩れ落ち、その岩塊が宮川を埋めて対岸の民家を飲み込み、それにより26人もの犠牲者がでている。そのうち14人全員が土砂の下敷きになって亡くなった家の縁者が1954(昭29)年に悲惨な災害を後世に伝えようと現場の家屋の裏側に「震災死没者追悼碑」を建てた。現在の「長とら」では季節により草木の状態が異なるが、岩肌が露出しているところでは甚大な被害を与えた当時の震災の一端を見せている。
ジオ点描    大地が力を受けて耐え切れなくなったことで破壊されてずれたものが断層であり、その破壊時の振動が地震である。したがって大地が断層でずれることで形成される崖と地震の振動により大地が崩れることで形成される崖はまったく意味が異なる。断層と地震が関連する現象であることからしばしば混同されて理解されていることもあるが、原因で生まれた崖(断層崖)と結果で生まれた崖(崩壊崖)の違いは明瞭である。
文献
  • 写真 宮川町丸山で「長とら」と呼ばれる崩壊岩壁
    (撮影:小井土由光)
    写真 「長とら」の岩壁前にある「震災死没者追悼碑」と史跡碑
    (撮影:小井土由光)
    跡津川断層
    跡津川断層は、富山県の立山付近から南西へ向かって、飛騨市神岡町、宮川町、河合町を通り抜け、白川村の天生(あもう)峠付近までの全長約60kmにも及ぶ大断層であり、岐阜県における大規模な活断層系である阿寺断層系や根尾谷断層系などとともに日本を代表する活断層系の一つである。人工衛星画像でもその直線状の谷地形が明瞭に識別でき、大きく見ると一本の断層線として示されるが、実際には数本の断層が平行して走っていたり、枝分かれしたりしている。河川流路の折れ曲がりや断層崖などの断層地形が各所に残り、断層上のくぼ地には池ヶ原湿原や天生湿原のような湿原が形成されている。この断層は40万~70万年くらい前から活動を始めたとされているが、詳しいことはまだわかっていない。江戸時代末期の1858(安政5)年に起きた飛越地震は、跡津川断層が動いたことで起きたもので、断層沿いに多大な被害をもたらした。
    飛越地震
    飛騨北部・越中で被害が大きく、とくに岐阜県内では跡津川断層沿いに被害が集中しており、全壊319戸、死者203名とされ、山崩れも多かった。とくに断層の南東側に比べて北西側で家屋の倒壊が多く、断層が北側から南側へ突き上げて動いたために北東側で震動が大きくなった。富山県側では、常願寺川の上流が山崩れで堰き止められ、のちにそれが決壊して富山平野で大洪水を起こした。



    地質年代