断層名 梅原地震断層(越切峠のヒノキ) うめはらじしんだんそう
(こしきりとうげのひのき)
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場所 山県市梅原 越切峠
概要    旧伊自良(いじら)村と旧高富町の町村界にあたる越切峠では梅原断層が北西~南東方向に横切り、現在の峠道の北東側にあるヒノキ林の中では北東側が1~2m落ち込んでおり、その段差をまたいでヒノキの根が林床から段差の上に向かって不自然に伸びている様子がみられる。これは、1891(明24)年に濃尾地震を起こして梅原地震断層が動いた際にまだ幼木であったヒノキの根をまたいで地面に縦ずれが生じたため、そのまま根が不自然な形で成長したものである。この越切峠には「ラドン観測施設」がかつて置かれており、ボーリング孔内における地下水中のラドン濃度を自動観測していた。ラドンは水に溶けやすい元素で、岩石の亀裂が増えるとそこにある地下水と接する岩石の表面積が増えるために地下水中に溶けだすラドンの量が増加する。その変化をつかむことで、岩盤中に亀裂(=断層)が形成される程度を察知して地震予知に役立てようとするものである。
ジオ点描    縦ずれの痕跡は大地の段差として現れることで確認できるが、それは時間の経過とともに薄れていく運命にある。越切峠では段差の形成は一回だけであるから、樹木の成長に合わせて縦ずれも進行していったのではなく、一回だけで形成された段差に沿ってヒノキが成長していったことになる。すなわち不鮮明になりつつある段差をヒノキの根が強調してくれているだけということである。
文献
  • 写真 山県市梅原の越切峠において梅原地震断層の段差をまたいで右上に伸びているヒノキの根
    (撮影:中田裕一)
    写真 越切峠にあったラドン観測施設(2002年撮影)
    (撮影:小井土由光)
    梅原断層
    梅原断層は根尾谷断層系の南東端を構成し、山県市南東部から岐阜市北東部、関市南部を経て坂祝(さかほぎ)町に至る全長約35kmにわたって延びる。ただし、根尾谷断層と異なり、ほとんどの地域で沖積層の下を通過しているため、それに隠されて実態は把握しにくかった。1891(明24)年に濃尾地震を起した際に形成された梅原地震断層が旧伊自良村から関市を経て美濃加茂市に至る低地に沿って変位を生じさせたことで、その位置が明確になった。梅原地震断層は根尾谷地震断層と同時に動いているが、性格はかなり異なり、全体を通じて横ずれ運動よりも南西側を隆起させる縦ずれ運動が卓越しており、その量は最大で約2.4mであった。
    濃尾地震
    濃尾地震は根尾谷断層系の温見(ぬくみ)断層、根尾谷断層、梅原断層などが同時に動いたことで発生し、内陸地震としては国内で最大級の規模をもつ地震である。明治時代に入ってから起こったこともあり、大地に現れた地震断層ばかりでなく、被害の状況も詳細な記録として残されている。この地震により、美濃地方で死者4,889人、負傷者12,311人、全壊70,048戸、半壊30,994戸という被害がもたらされた。全国規模でも、死者7,273人という多大な被害を受けたばかりでなく、当時としての先端技術であった鉄道や煉瓦作りの建物に甚大な被害を受けたことで、富国強兵に邁進していた明治政府にとって大きな打撃となった。この災害を契機として耐震構造への関心が強まり、その研究が大きく進展していったり、この地震後に震災予防調査会が設置され、日本における本格的な地震研究がスタートした。



    地質年代