江名子断層
江名子断層は高山盆地の南側を画する大西山地の北側山麓を高山市塩屋町東部から南西へ向かい、江名子町を通って飛騨一之宮へと約13kmにわたり延び、大西山地の南西へ向かって宮川断層から大原(おっぱら)断層へと続き、これらをまとめて「江名子・大原断層帯」と呼ぶこともある。大西山地の南側山麓には宮峠断層が江名子断層とほぼ平行に走り、この2つの断層に挟まれた地域が断層運動で隆起して一般に「位山(くらいやま)分水嶺」と呼ばれる分水嶺山地が誕生した。それが誕生する以前の約200万年前に形成された松原礫層は分水嶺山地の上にもその両側にも分布し、その中には分水嶺より南側に広く分布する濃飛流紋岩の礫を多量に含んでおり、現在の飛騨川最上流部は宮川を経て日本海へ流れていたことになる。高山盆地側から眺める大西山地の北側斜面は江名子断層の断層崖になり、そこには主断層や数本の派生断層により最大で150mにも達する幅広い破砕帯が形成されており、これに沿って谷・尾根の右横ずれ屈曲が顕著に見られ、その変位量は最大で500mに達する。縦ずれ変位量は、断層をはさんで両側に分布する松原礫層や丹生川火砕流堆積物の分布高度の差から300m以上である。
ヌクイ断層
ヌクイ谷断層は、高山市清見町楢谷(ならだに)東方の赤谷付近から北東へ、宮川防災ダムを通り、清見町の川上(かわかみ)川の支流にあたる大楢谷(おおならだに)川上流部を経て、源氏岳(標高1143m)の南麓まで約15kmにわたって延びており、北東~南西方向に延びて高山盆地南西部を占める「江名子・大原(おっぱら)断層帯」の一員である。宮川の最上流部は大きくツメタ谷とヌクイ谷に分かれ、前者に沿って宮川断層が、後者に沿ってヌクイ谷断層がそれぞれ延びており、ともに北東~南西方向に流路が刻まれている。ヌクイ谷では、ヌクイ谷断層に沿って比較的平坦な幅広い谷が広がっており、宮川防災ダム周辺では濃飛流紋岩が断層に沿って激しく破砕され、粘土化して青白くなった破砕帯を幅広く形成している。同時に、流路は右(北東)に500mほど横ずれしている。また、小さな谷や尾根は断層を境に相対的に100m前後の右ずれ屈曲を示しており、断層鞍部もみられる。
宮川断層
宮川断層は、飛騨一之宮から南西に向かい、位山(くらいやま)(標高1529m)から川上岳(かおれだけ)(標高1525m)へ続く山嶺の北西斜面において直線状に並ぶ断層鞍部をつなげるように通過し、ツメタ谷から峠を越えて郡上市側へ延び、そのまま大原(おっぱら)断層につながる。そこには幾本かの断層が平行して並んでおり、場所によっては幅数百mの断層破砕帯を形成している。宮川支流の流路は宮川断層にぶつかった所で右横ずれの屈曲をしており、断層に沿う谷に入ると、硬くて暗青色をした基盤の濃飛流紋岩がもろく粉々になり、断層粘土をともなった破砕帯となっている。そこから流れ出した岩石は、下流の飛騨一之宮盆地の東端にある水無神社付近に堆積して、そこに広い河原をつくった。その堆積物には多くの隙間があるために水はけがよく、河原の水は伏流水となって河床にしみ込んでしまうために河原は水無川となっている。高山市の上水道の一部もこの伏流水を利用している。
大原断層
大原断層は、高山市一之宮町から清見町大原を通って郡上市明宝(めいほう)へと続く全長約20kmの北東~南西方向に延びる右横ずれ断層で、断層の南東側が上昇傾向にある。北東縁は宮川断層とつながっている。この断層は、北西側の御母衣(みぼろ)断層系の三尾河(みおご)断層と南東側の阿寺断層系の萩原断層とほぼ直交し、両断層系の間に割って入るように延びている。古くから郡上と飛騨を結んでいた郡上街道は、大原断層を含めて同じ方向に形成された断層谷を利用した道であり、郡上から大原へ抜ける坂本峠も大原断層が作り出した鞍部である。同様に、大原から小原(おばら)峠を越えて小原(廃村)へ抜け、小原川沿いから宮川源流部、飛騨一之宮へ至るルートも大原断層に沿う断層谷を利用したものである。
宮峠断層
宮峠断層は、旧国道361号(木曽街道)が通る美女峠付近から飛騨一之宮盆地の南縁まで8km以上にわたり延びており、その累積移動量は垂直方向に約200m、水平方向に最大300mとされている。宮峠断層は北側の江名子(えなご)断層とともに両者に挟まれる大西山地(位山分水嶺)を隆起させたことで、それまで北流して日本海に向かって流れていた飛騨川上流部は南流して太平洋へ向かって流れるようになった。久々野町大西と高山市江名子町を結ぶ「県営ふるさと農道」(現国道361号)の敷設工事の際に宮峠断層の破砕帯がみごとに露出し、そこでは断層を境にして北側の大西山地を構成する美濃帯堆積岩類が南側にある若い時代の堆積物(久々野凝灰角礫岩層・見座礫層)にせり上がっている様子がみられた。ただし、この現場は被覆されてしまっている。
跡津川断層
跡津川断層は、富山県の立山付近から南西へ向かって、飛騨市神岡町、宮川町、河合町を通り抜け、白川村の天生(あもう)峠付近までの全長約60kmにも及ぶ大断層であり、岐阜県における大規模な活断層系である阿寺断層系や根尾谷断層系などとともに日本を代表する活断層系の一つである。人工衛星画像でもその直線状の谷地形が明瞭に識別でき、大きく見ると一本の断層線として示されるが、実際には数本の断層が平行して走っていたり、枝分かれしたりしている。河川流路の折れ曲がりや断層崖などの断層地形が各所に残り、断層上のくぼ地には池ヶ原湿原や天生湿原のような湿原が形成されている。この断層は40万~70万年くらい前から活動を始めたとされているが、詳しいことはまだわかっていない。江戸時代末期の1858(安政5)年に起きた飛越地震は、跡津川断層が動いたことで起きたもので、断層沿いに多大な被害をもたらした。
地質年代