断層名 宮峠断層(概説) みやとうげだんそう
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場所 高山市久々野(くぐの)町大西
概要    旧国道361号(木曽街道)が通る美女峠付近から旧国道41号が通る宮峠の北側を通り、飛騨一之宮盆地の南縁まで東北東~西南西方向に約8kmにわたり延びている活断層である。各所において右横ずれを示唆する尾根や河谷の屈曲が明瞭に認められる。断層北側の大西山地(位山(くらいやま)分水嶺)上の標高1,000m前後に分布する久々野凝灰角礫岩層が断層の南側では標高780~840mに分布しており、同層が堆積した更新世前~中期以降にこの断層が縦ずれとして150~200m、右横ずれとして350m(最大値)も変位したと考えられている。
ジオ点描    久々野町大西と高山市江名子町を結ぶ現国道361号は当初「県営ふるさと農道」として開通し、その敷設工事中の法面にこの断層がみごとに露出した。そこでは断層を境にして北側の美濃帯堆積岩類が南側にある若い時代の堆積物(久々野凝灰角礫岩層・見座礫層)に逆断層でせり上がっている様子がみられた。この現場は被覆されてしまったが、その場所に解説と写真が掲げられた記念碑が設けられている。
文献
  • 岡田篤正・東郷正美・八木浩司・堤 浩之(2008)1:25,000都市圏活断層図 高山周辺の活断層「高山東部」「高山西部」「高山南西部」解説書.国土地理院技術資料D・1-No.519.
  • 写真 久々野町大西において国道工事で露出した宮峠断層の大露頭
    (撮影:中田裕一)
    写真 準備中

    美濃帯堆積岩類
    美濃帯は、飛騨外縁帯の南側にあってかなり幅広く分布する地質帯で、岐阜県内でも広範囲にわたる地域を占める。そこは、古生代石炭紀から中生代白亜紀最前期にかけての時期にチャート・石灰岩・砂岩・泥岩・礫岩などの海底に堆積した堆積岩類と海底に噴出した緑色岩(玄武岩質火山岩類)でおもに構成されている。下図に示すように、海洋プレートの上に噴出した玄武岩質火山岩類は海底や火山島(海山)を形成して、その上にチャートや石灰岩・珪質泥岩などを徐々に堆積させながら大陸へ向かって年間数cmほどの速さで移動していく。海洋プレートは海溝部で大陸の下へ沈み込んでいくが、堆積物はいっしょに沈み込むことができず、はぎ取られたり、大陸側から運び込まれた砂岩・泥岩などとともに大陸側へ押し付けられ、混じり合って複合体(コンプレックス)を作りあげていく。こうした作用を付加作用といい、それにより形成された堆積物は付加体堆積物と呼ばれ、これまでそれらを総称して「美濃帯中・古生層」、「美濃帯中生層」、「美濃帯堆積岩コンプレックス」などといろいろな表現で呼ばれてきたが、ここではこれらを「美濃帯堆積岩類」と呼ぶ。それらは、それまで順に重なっていた地層が付加作用にともなって低角の断層を境にして屋根瓦のように繰り返して覆うように重なったり、複雑に混じりあったメランジュと呼ばれる地質体を構成し、整然とした地層として順番に連続して重なるようなことがほとんどない。そのため全域にわたり個々の地層名を付して表現することがむずかしいため、ここでは構成岩石の種類(岩相)によって表現する。これらの構成岩石は単独でも複数の組合せでもある程度の大きさを持つ地質体を形成しており、その大きさはcmオーダーの礫からkmオーダーの岩体までさまざまである。これらは岩相、形成時期、形成過程などの類似性から複数の地質ユニットに区分され、ユニット間は衝上断層で接することが多いが、その区分による表現はここでは用いない。
    久々野凝灰角礫岩層
    すぐ下位にある見座礫層とほぼ同じ分布域を示し、位山分水嶺形成後に現在よりも北側の位置を流れて南流した飛騨川に沿って堆積したもので、約10mの層厚で上流へ向かって標高が高くなる平坦な地形面を形成している。安山岩質の凝灰角礫岩からなり、丹生川火砕流堆積物、美濃帯堆積岩類、濃飛流紋岩などの亜角礫~円礫を含む。安山岩礫の起源や運搬過程についてはわかっていない。
    見座礫層
    高山市朝日町万石(まんごく)付近から現飛騨川の北側に沿って高山市久々野(くぐの)町山梨を経て無数河(むすご)付近までほぼ連続して分布する。分布は宮峠断層よりも南側に限られ、位山分水嶺形成後に南流を始めた飛騨川の河川堆積物であるが、その流路は現在よりも北側の位置を流れていた。層厚約40mのよく円磨された大~巨礫からなり、ほとんど濃飛流紋岩や安山岩類の風化の進んだ軟らかい礫からなり、礫径は下流へ向かって小さくなる。

    地質年代