鉱山名 | 御嵩亜炭鉱群 | みたけあたんこうぐん |
地図 | 地図を見る | |
所在地 | 可児市久々利(くくり)我田(わがた) | |
対象資源 | 亜炭 | (廃鉱) |
概要 | 御嵩町一帯から可児市北東部へかけての地域には瑞浪層群の下部層をなす中村累層が広く分布し、その中に大量の褐炭層が含まれている。この褐炭層は亜炭の鉱脈として1869(明2)年に発見されて以後、1947(昭22)年ごろには亜炭鉱の数が100以上となり、最盛期の1956(昭31)年には全国産出量のほぼ1/4を占め、“炭鉱の町”として栄えた。しかし、燃料事情が好転するとともに需要が激減し、1968(昭43)年にはすべての炭鉱が閉山された。亜炭の採掘は褐炭層の一部を柱状に残して坑道の安定を支える「残柱方式」と呼ばれる方法でなされたため、その残柱部分が鉱山の閉鎖により次第に劣化していくことで崩壊し、支えを失うことで地表の陥没を引き起こしていった。そうした鉱害を引き起こしてしまうようになったため坑道の埋戻し作業が始められている。 | |
ジオ点描 | 亜炭鉱跡の鉱害は、坑道がかなりの範囲にわたり地表から浅い位置に無秩序に掘削され、地下に空洞のまま残されて放置されていることで起きている。その空洞を埋戻すことが根本的な解決策となるが、かなりの経費を必要とするため陥没の危険性が高い箇所を限定的に埋め戻す工事となる。お金のために野放図に掘った坑道をお金をかけて埋め戻す現実はかなりの皮肉と言わざるを得ない。 | |
文献 |
|
|
|
||
写真 | 御嵩町における亜炭鉱の抗内 (撮影:木澤慶和) |
|
写真 | 御嵩町長瀬において亜炭鉱分布域で2009年7月に発生した陥没 (撮影:鹿野勘次) |