鉱山名 渋草陶石 しぶくさとうせき
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所在地 飛騨市神岡町山田
対象資源 陶石 (廃鉱)
概要    神岡町山田の集落から東方へ1kmほどの山間部にある鉱山であった。飛騨帯構成岩類の飛騨花崗岩類を微細な石英や長石からなる珪長質火山岩の岩脈が北東~南西方向に幅7~17m、長さ100~300mで数本にわたり貫いている。これらの岩脈はおそらく大雨見山層群に属する火山岩類と考えられ、全体が熱水変質作用を受けて長石のほとんどが絹雲母に変化して陶石となっている。陶石の採掘量は年間5,000~10,000㌧とされ、埋蔵量は50万㌧と推量されていた。ここと類似の地質環境においてほぼ同様の産状を示す陶石鉱床に伊西(いにし)陶石がある。なお、渋草陶石の名称は江戸末期から高山で焼かれるようになった青白な磁器である“渋草焼”に用いている陶石の採取地として呼ばれたものである。
ジオ点描    “渋草焼”は、当時の江戸幕府直轄地(=天領)の役所にあたる高山陣屋にいた飛騨群代(代官)が地元に新たな産業を起こすことをめざして江戸末期の1841(天保12)年から始めた陶磁器の生産に起源がある。その際に『渋草』という地名の場所に半官半民の陶磁器製造所を開窯させたことに始まるとされており、“渋草陶石”は地産地消的な背景のもとに生まれた資源ということになる。
文献
  • 下坂康哉(1978)東海北陸地方の窯業原料.地質ニュース,283号,50-62頁.
  • 写真 神岡町山田において渋草鉱山の採掘跡でみられる崩壊した崖
    (撮影:小井土由光)
    写真 渋草鉱山の採掘跡付近でみられる陶石の破断面
    (撮影:小井土由光)
    大雨見山層群
    飛騨市古川町東部から高山市上宝町東部へかけての地域に飛騨外縁帯構成岩類、美濃帯堆積岩類、手取層群を不整合に覆って約22kmにわたりほぼ東西方向に分布する。流紋岩質の溶結凝灰岩など南隣に約4km隔てて分布する濃飛流紋岩に類似した岩石類からなるが、流紋岩溶岩、玄武岩質安山岩溶岩なども見られる。下位から、宮川谷層、明ヶ谷溶結凝灰岩層、木地屋層の3層に区分され、上部層ほど岩体の東部に分布する。
    飛騨帯構成岩類
    飛騨帯は、岐阜県の北部から北陸地方へかけての地域に広がる変成岩類と花崗岩類からなる地質帯である。ただし、これらの構成岩類がこの地域のどこにでも分布しているわけではなく、それ以降に形成された岩石類に覆われたり貫かれているために、実際にはかなり限られた地域にだけ分布する。変成岩類は総称して「飛騨片麻岩類」と呼ばれ、それらを形成した広域変成作用の時期についてはいくつかの見解があるが、おおよそ3億年~4億5000万年前(古生代石炭紀・シルル紀・デボン紀)と2億4000万年前ごろの少なくとも2回にわたり重複した変成作用で形成されたとされている。花崗岩類はこれまで「船津花崗岩類」と呼ばれ、1億8000万年前(中生代ジュラ紀)に飛騨外縁帯構成岩類の分布域にまで及ぶ範囲に一斉に貫入したことで飛騨片麻岩類に熱変成作用をもたらしたと考えられてきた。しかし、それらの中には古い年代を示す岩体もあり、一律に扱うことができないことがわかってきたため、それらの形成時期を少なくとも2期に分けて区別するようになった。変成岩類も花崗岩類も複数回におよぶ複雑な過程を経て形成されているために、すべての飛騨帯構成岩類を全域にわたって一定の基準で表現することはかなりむずかしいことから、ここではそれらを「飛騨変成岩類」、「飛騨花崗岩類」と呼び、それぞれを6種類と10種類の岩相に区分することで表現する。そのため1つの岩相で示される岩石の中にも別の変成・深成作用で形成された岩石が含まれている場合もある。


    伊西陶石
    美濃帯堆積岩類の飛騨花崗岩類を貫いて流紋岩質火山岩(所属不明であるが、おそらく後濃飛期火成岩類)の幅約14mの岩脈が熱水変質作用を受けて形成された陶石で、鉱石中に石英斑晶が少なく、長石が絹雲母に変化している。ほぼ同様の産状を示すものに渋草陶石がある。
    地質年代