対象物 | 馬瀬川の河川争奪跡 | まぜがわのかせんそうだつあと |
地図 | 地図を見る | |
場所 | 下呂市金山町金山 | |
概要 | 飛騨川は下呂市三原(さんばら)付近から始まる中山七里の峡谷を流れ下り、飛騨金山で馬瀬川を合流させ、飛水峡を経て美濃加茂で木曽川に合流している。ところがある時期までは飛騨川は下呂付近から加子母(かしも)・付知方面へ流れており、そのときの堆積物と思われるものが舞台峠層として阿寺断層系の断層沿いに分布している。中山七里の峡谷が存在していなかった当時においては、馬瀬川はそのまま飛騨金山以南の現飛騨川部分を流れており、その時の飛騨金山付近における流路は現在の七宗(ひちそう)ダムで堰き止められた飛騨川(藤倉峡)とは尾根で隔てられた国道41号が通過している大きな谷の部分であった。ある時期に中山七里の峡谷がつながると、飛騨川の水量が圧倒的に多いために馬瀬川よりも低い河床面で合流し、しかも馬瀬川にとってはやや上流で合流するようになったことで馬瀬川の水が飛騨川に奪われてしまい、飛騨金山付近におけるそれまでの馬瀬川の谷は涸れ谷となり、飛騨金山より下流の馬瀬川は飛騨川となった。その時点がいつであるかは正確にわからないが、おそらく第四紀初頭あるいは鮮新世ごろであったと考えられ、それほど古い話ではない。 | |
ジオ点描 | 河川が互いに水の争奪戦をやっているというのは不思議な感覚かもしれないが、自然界ではそれほど珍しいことではない。隣の谷とわずか1m足らずの峰を境にして2本の谷が接して流れており、その峰があとわずかに削られると隣の谷へ流れていくような場所が実際にある。川の流れがかつては逆方向であったと考えられる場所もあり、“川の流れのように”素直に流れていないのが川の現実のようである。 | |
文献 |
|
|
|
||
写真 | 金山町金山における馬瀬川l流路の過去と現在 (作成:小井土由光) |
|
写真 | 準備中 |