対象物 根尾谷断層 ねおだにだんそう
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場所 本巣市根尾水鳥(みどり)・根尾中(なか)
指定者 国(特別)
指定年月日 1927(昭2)年6月14日
1952(昭27)年3月29日(特天)
2007(平19)年2月6日(追加)
概要    全長約80kmにわたり延びる根尾谷断層系の一部が1891(明24)年10月28日午前6時38分50秒から動き始めたことで濃尾地震がもたらされた。その際に本巣市根尾水鳥に現れた約6mの縦ずれを示す断層崖の写真が当時の理科大学(東京帝国大学の前身)の小藤文次郎教授により2年後に英文論文とともに欧米に紹介された。それにより地震をもたらす地震断層の意味が明確となり、この断層崖が世界中に知れわたるようになった。それらを背景としてこの水鳥の断層崖が国指定の天然記念物にされ、さらに動いた時間も場所も正確にわかり、最大級の活断層型(直下型)地震をもたらした地震断層としての価値が高いことから特別天然記念物として指定された。さらには、根尾谷断層系の主要な運動は縦ずれではなく左横ずれであることを受けて、約半世紀も経過してからではあるが、根尾中の屈曲として知られる平均約7mの左横ずれ断層が追加指定されている。ただし、濃尾地震をもたらした地震断層として正確に表現するには「根尾谷地震断層」と言わなければならず、活断層群の中の一つの断層を示す「根尾谷断層」と用語の混乱がみられる。
ジオ点描    地質・鉱物関係における国指定の天然記念物において特別天然記念物となっているものは県内では2つあり、そのうちの1つということになる。正確な時間と場所がはっきりとしている自然事象として科学的にもきわめて貴重であり、天然記念物の中でも特別扱いしてよい価値あるものといえる。とりわけ実際に起こった濃尾地震との関連で見たとき、その原因となる断層のすがたは重要な意味を持っている。
文献
  • 村松郁栄・松田時彦・岡田篤正(2002)濃尾地震と根尾谷断層帯-内陸最大地震と断層の諸性質-.古今書院,340頁.
  • 写真 根尾谷地震断層の水鳥断層崖
    (撮影:小井土由光)
    写真 根尾中における茶木の横ずれ変位と案内板
    (撮影:小井土由光)
    根尾谷断層系
    「根尾谷断層系」は、全長約80kmにもおよぶ長大な活断層群の総称であり、何本もの活断層で構成された長大な活断層帯を形成している。それらのうち、岐阜・福井県境の能郷(のうご)白山(標高1617m)付近から根尾川沿いに南下して岐阜市北端部へ至る、おおよそ1本の断層線で示される活断層を「根尾谷断層」と呼ぶ。根尾谷断層系の活断層にほぼ沿って1891(明24)年に動いた地震断層群の総称を「濃尾地震断層系」と呼び、そのうちの1本として根尾谷断層も動き「根尾谷地震断層」を形成した。根尾谷断層系は、何回も活動を繰り返してきた中でとりあえず最後の大きな活動として濃尾地震断層系を形成し、そのときの震動が濃尾地震である。根尾谷断層系を構成する各活断層は今後も活動し続けるはずであり、決して最後ではないから、濃尾地震断層系は“とりあえず最後の活動”となる。
    濃尾地震
    濃尾地震は根尾谷断層系の温見(ぬくみ)断層、根尾谷断層、梅原断層などが同時に動いたことで発生し、内陸地震としては国内で最大級の規模をもつ地震である。明治時代に入ってから起こったこともあり、大地に現れた地震断層ばかりでなく、被害の状況も詳細な記録として残されている。この地震により、美濃地方で死者4,889人、負傷者12,311人、全壊70,048戸、半壊30,994戸という被害がもたらされた。全国規模でも、死者7,273人という多大な被害を受けたばかりでなく、当時としての先端技術であった鉄道や煉瓦作りの建物に甚大な被害を受けたことで、富国強兵に邁進していた明治政府にとって大きな打撃となった。この災害を契機として耐震構造への関心が強まり、その研究が大きく進展していったり、この地震後に震災予防調査会が設置され、日本における本格的な地震研究がスタートした。
    活断層型地震
    日本列島周辺において規模の大きな地震もたらす大地の破壊(ずれ)は大きく2通りの場所で起き、その一つが陸地内の活断層であるためにこの名がある。これは、大地の浅部が常に力を受けているために、それに耐えられなくなると断層としてずれ、その際に引き起こされる震源の浅い地震で、「直下型地震」ともいう。1891(明24)年の濃尾地震はこの典型例である。もう一つは海溝型地震をもたらすプレート境界でのずれである。
    根尾中の屈曲
    根尾中地区の国道脇にある畑地には濃尾地震断層系の横ずれ変位が当時のまま現在も残されており、断層に沿って左横ずれ屈曲を起こした茶木の列や小道が一直線上に並んでいる様子がみられる。横ずれの大きさは最大9.2m、平均7.4mとされ、濃尾地震断層系の中で最大値を示す。横ずれ断層は、縦ずれ断層と異なり、目印にあたるものが取り去られてしまうとその様子がまったく分からなくなってしまい、そうした場所は濃尾地震断層系において数えきれないほどある。ここでは、屈曲した茶木や小道が農作業に不便な障害物であるにもかかわらず、所有者の日常的な努力とご好意で大切に保存されてきており、きわめて貴重な左横ずれ屈曲を示す場所となっている。そのため2007(平19)年に国の特別天然記念物「根尾谷断層」に追加指定されている。
    地震断層
    地震は地下深部で大地が破壊される際の振動であり、その破断面が断層である。震源域に想定される断層を震源断層と呼び、その規模が大きくなって地表まで到達するようになり、地表にずれが出現したものを地震断層という。すなわち、地震断層は震源断層の延長部分が地表に出現したものであり、それだけ規模の大きな地震を起こした断層であることを示している。
    水鳥の断層崖
    根尾谷断層が1891(明24)年に動いたことで形成された根尾谷地震断層を代表する場所であり、国の特別天然記念物「根尾谷断層」として指定されており、約500mにわたり約6mの縦ずれにより形成された断層崖である。根尾谷断層における主要な動きは左横ずれであり、縦ずれがあった場合にはそのほとんどで南西側が隆起している。ところが、この崖では逆に北東側が隆起しており、同時に2~3mの左横ずれも起こした。この付近では断層崖を形成した断層の東側にもう一本の断層が約400m離れてほぼ平行に走り、それらがともに左横ずれを起こすと、断層にはさまれた部分では北西と南東へ向かう動きが衝突することになる。それを解消するために、東西方向の断層をつくって地盤を上昇せざるを得なくなる。この断層崖は濃尾地震断層系を象徴する場所になっているが、全体としてみるとかなり局地的で特殊な原因で起こった縦ずれ運動で形成されたことになる。なお、この断層崖の地下の様子は「地震断層観察館」で見学できる。
    地質年代