領家帯構成岩類
領家帯は美濃帯の南側に帯状に分布し、領家変成帯とも呼ばれる。美濃帯堆積岩類を形成した中生代ジュラ紀の付加体が白亜紀中頃(おおよそ1億年前ごろ)に花崗岩質マグマの大規模な上昇により地下深部の高温条件下で変成作用を受けて形成された変成岩類とそれをもたらした花崗岩類で構成される地質帯である。実際には、後続する濃飛期火成岩類の花崗岩類に広範囲にわたり貫かれているために、これらの構成岩類の分布は限られており、岐阜県地域においても南縁部の限られた地域にわずかに分布する。なお、「領家」という名称は天竜川支流の水窪(みさくぼ)川沿いにある地名「奥領家」(浜松市天竜区水窪町奥領家)に由来する。
天竜峡花崗岩
長野県南部の天竜峡付近に模式的に分布し、領家帯構成岩類としてもともとは領家帯に広く分布していたと考えられるが、後から濃飛期火成岩類の花崗岩類に広く貫かれてしまっているために分布は断片的になっている。岐阜県地域においてはその南東端部のかなり限られた範囲にだけ分布する。おもに粗粒・斑状の黒雲母花崗岩からなり、領家変成岩類の構造とほぼ平行に、石英・長石の多い白色の部分と黒雲母の多い黒色の部分が片麻状構造をつくる。
甌穴
河床や河岸の表面が堅硬な岩石でできている場合に、そこに割れ目などの弱い部分があると浸食されて凹みを作り、その中に礫が入ると渦流によって礫が回転して円形の穴に拡大していくことで形成される。堅硬な岩石であればその種類は問わず形成され、国指定の天然記念物「飛水峡の甌穴群」は美濃帯堆積岩類のチャートがえぐられている。
“海”の謎
岐阜県の最南東端にあたる上村川(かみむらがわ)上流に「海」という地名の場所がある。2000(平12)年9月の恵南豪雨の際にそこの河床が削り取られ、そこから枝や根を残した大量の埋もれ木が現れた。それから得られた年代値が西暦1550年~1600年頃であったことで、1586年の天正地震により大規模な山崩れが起き、上村川が堰止められ、天然のダム湖、すなわち「海」ができたと考えられるようになった。その後、その堰が崩れて「海」は再び川に戻ったが、地名は残った。この付近は阿寺断層系の南東端からさらに約10kmも離れており、これまで天正地震の被害範囲からも外れていた。ここでの埋もれ木の発見は、「海」の由来をはっきりさせるとともに、阿寺断層系の南東端がさらに南に延びる可能性を示唆し、被害範囲の広いことが謎とされる天正地震に新たな謎を投げかけるものとなった。
天正地震
飛騨・美濃・伊勢・近江など広域で被害があり、現白川村で帰雲(かえりぐも)山の大崩壊が発生し、山麓にあった帰雲山城や民家300余戸が埋没し、多数の死者がでたとされる。また、下呂市御厩野(みまやの)にあった大威徳寺(だいいとくじ)が壊滅し、伊勢湾や若狭湾では津波が発生したとされる。これらのことから御母衣(みぼろ)断層、阿寺(あてら)断層、養老断層などの活断層が同時に動いたとされる説、時期はずれたが連続して動いたとされる説などがあり、不明な点が多い。
恵那峡
1924(大13)年に木曽川水系で最初に作られた大井ダムが木曽川を堰き止めて作った人造湖を利用した峡谷であり、ダム湖百選にも選ばれている。約12kmにわたる湛水域の両岸に露出する岩盤は苗木花崗岩であり、花崗岩の方状節理と適度な風化作用によりもたらされた奇岩に、屏風岩、軍艦岩、獅子岩、鏡岩などいろいろな名称がつけられている。それらと湖面がつくりだす景観を遊覧船から眺められることで人気が高い。
マサ化
地下で固結した花崗岩が地表に露出したことで気温の変化により岩石の表面で膨張収縮をわずかながらでも繰り返し、岩石中の鉱物が互いに接している完晶質岩であるために膨張率の違いが鉱物単位で歪みを生じ、ばらばらにされて砂状に破壊されていく現象である。もともとは「真砂土(まさど・まさつち)」という園芸用土壌の用語として使われているが、それをもたらす風化作用に拡大して使われるようになっている。
方状節理
花崗岩は規模の大きなマグマ溜りが地下に長い時間にわたりとどまり、きわめてゆっくり冷却していく。冷却にともない体積が収縮することで、大きな直方体の箱を積み重ねたように形成される規則的な割れ目のことで、一般にはその間隔は数~数十mと幅広いものとなる。
鬼岩公園
木曽川支流の可児川源流付近一帯にあり、土岐花崗岩が作り出した巨岩・奇岩からなる国指定の天然記念物「鬼岩」にまつわる公園である。人造湖の松野湖へ至る“渓流コース”や“岩屋くぐりコース”などのハイキングコースがあり、花崗岩が作る岩壁と周囲の緑あるいは秋の紅葉が織りなすコントラストなど、四季を通じて展開される自然の絶景が満喫できる。また公園内には、土岐花崗岩に比較的多く含まれる放射性元素に起因する放射能泉が湧出する鬼岩温泉がある。
地質年代