美濃帯堆積岩類
美濃帯は、飛騨外縁帯の南側にあってかなり幅広く分布する地質帯で、岐阜県内でも広範囲にわたる地域を占める。そこは、古生代石炭紀から中生代白亜紀最前期にかけての時期にチャート・石灰岩・砂岩・泥岩・礫岩などの海底に堆積した堆積岩類と海底に噴出した緑色岩(玄武岩質火山岩類)でおもに構成されている。下図に示すように、海洋プレートの上に噴出した玄武岩質火山岩類は海底や火山島(海山)を形成して、その上にチャートや石灰岩・珪質泥岩などを徐々に堆積させながら大陸へ向かって年間数cmほどの速さで移動していく。海洋プレートは海溝部で大陸の下へ沈み込んでいくが、堆積物はいっしょに沈み込むことができず、はぎ取られたり、大陸側から運び込まれた砂岩・泥岩などとともに大陸側へ押し付けられ、混じり合って複合体(コンプレックス)を作りあげていく。こうした作用を付加作用といい、それにより形成された堆積物は付加体堆積物と呼ばれ、これまでそれらを総称して「美濃帯中・古生層」、「美濃帯中生層」、「美濃帯堆積岩コンプレックス」などといろいろな表現で呼ばれてきたが、ここではこれらを「美濃帯堆積岩類」と呼ぶ。それらは、それまで順に重なっていた地層が付加作用にともなって低角の断層を境にして屋根瓦のように繰り返して覆うように重なったり、複雑に混じりあったメランジュと呼ばれる地質体を構成し、整然とした地層として順番に連続して重なるようなことがほとんどない。そのため全域にわたり個々の地層名を付して表現することがむずかしいため、ここでは構成岩石の種類(岩相)によって表現する。これらの構成岩石は単独でも複数の組合せでもある程度の大きさを持つ地質体を形成しており、その大きさはcmオーダーの礫からkmオーダーの岩体までさまざまである。これらは岩相、形成時期、形成過程などの類似性から複数の地質ユニットに区分され、ユニット間は衝上断層で接することが多いが、その区分による表現はここでは用いない。
メランジュ
もともとは混合を意味するフランス語であり、いろいろな種類の岩石が複雑に混じりあった地質体を指し、プレートの沈み込みにともなう構造運動で変形した岩石類にあてはめて用いることが多い。美濃帯堆積岩類においては、泥岩の基質中に石灰岩・緑色岩・チャート・珪質泥岩・砂岩などからなるさまざまな大きさの礫あるいは岩塊を異地性岩体として数多く含む地質体である。海洋プレート上に載った堆積物が海溝部で付加される過程のほかに、海底地すべりや断層に沿う破断作用などの過程が複合されて形成されると考えられている。
砂岩
美濃帯堆積岩類において、海洋プレートが大陸縁辺に近づき、海溝で沈み込んでいく際に陸域から供給される砕屑物である。それぞれが単独の地質体を作る場合もあれば、互層をなす場合もあり、前者においては厚い砂岩層としてしばしば産する。これらの多くは海底地すべりにより混濁流としてもたらされたタービダイトを形成している。
馬瀬川の河川争奪跡
飛騨川は下呂市三原(さんばら)付近から始まる中山七里の峡谷を流れ下り、金山町金山で馬瀬川を合流させ、飛水峡を経て美濃加茂で木曽川に合流している。ところが、ある時点までは飛騨川は下呂付近から加子母(かしも)・付知方面へ流れており、そのときの堆積物と思われるものが舞台峠層として阿寺断層系の断層沿いに分布している。中山七里の峡谷が存在していなかった当時の馬瀬川はそのまま金山以南の現飛騨川部分を流れており、その時の金山付近における馬瀬川の流路は、現在の七宗(ひちそう)ダムで堰き止められた飛騨川(藤倉峡)とは尾根で隔てられた、国道41号が通過している大きな谷の部分であった。ある時点で中山七里の峡谷がつながり、水量が圧倒的に多い飛騨川の河床面が馬瀬川よりも低く合流するようになったことで、馬瀬川の水が飛騨川に奪われてしまい、それまでの谷は涸れ谷となり、金山より下流の馬瀬川は飛騨川となった。その時点がいつであるかは正確にわからないが、おそらく第四紀初頭あるいは鮮新世ごろであったと考えられ、それほど古い話ではない。
火道角れき岩
火山噴火における出口通路にあたる部分を火道といい、濃飛流紋岩のうちNOHI-4の初期(約7000万年前)に岩体の西部にあたる位置に噴出したきわめて局所的な火山活動における火道にあたるもので、正式には田島火道角礫岩という。藤倉峡をつくる七宗ダムの下流側に約1.3kmにわたり飛騨川河床に露出している。この角礫岩は,径1m以上の巨大なものから数cm以下の細かいものまでさまざまの大きさの礫が含まれており、比較的大きい礫のほとんどは濃飛流紋岩の溶結凝灰岩であり、小さい礫は美濃帯堆積岩類のチャートや砂岩などである。礫の間を埋める細粒物質は噴火時に噴き上げられた火山灰に相当し、火道周辺にあった岩石をいっしょに巻き込んだものが礫として含まれて火道を埋めている。
濃飛流紋岩
濃飛流紋岩は、岐阜県の南東端にあたる恵那山(標高2191m)付近から北部の飛騨市古川町付近へかけて、幅約35km、延長約100kmにわたり北西~南東方向にのび、岐阜県の約1/4の面積を占める巨大な岩体である。この岩体を構成する岩石のほとんどは、火砕流として流れ出た火山砕屑物がたまって形成された火砕流堆積物からなり、しかもその大部分は堅硬に固結した溶結凝灰岩になっており、厚さ数百mで、水平方向へ20~60kmの広がりをもち、岩相・岩質が類似した火山灰流シートとして何枚にもわたって重なりあっている。それらは大きく6つの活動期(NOHI-1~NOHI-6)に区分されており、岐阜県内にはNOHI-6だけが分布しない。これらの火山岩類には花崗岩類が密接にともなわれ、それらを含めて大きく2期(第1期火成岩類・第2期火成岩類)に分けられる火山-深成複合岩体を形成している。第1期の活動は白亜紀後期の約8,500万~8,000万年前にあり、NOHI-1とNOHI-2の活動と引き続く花崗岩類の活動があった。第2期の活動は約7,500万~6,800万年前にあり、NOHI-3~NOHI-5(おそらくNOHI-6)の活動と引き続く花崗岩類の活動があった。これらは活動の場所を南部から北部へと移しながら巨大な火山岩体を作り上げた。
地質年代