高層湿原
湿った低温の土壌に形成され、枯死した植物の分解が進まないために泥炭として堆積している草原を湿原といい、周囲に対する高さにより低層・中間・高層湿原の3タイプに区分される。それらは構成植物や生態条件などの違いにより形成されていき、高層湿原は、低温で周囲からの流水が少なく、栄養塩類が少ないことで、ミズゴケなどの植物が泥炭化して中央部に高まりができる。
飛騨帯構成岩類
飛騨帯は、岐阜県の北部から北陸地方へかけての地域に広がる変成岩類と花崗岩類からなる地質帯である。ただし、これらの構成岩類がこの地域のどこにでも分布しているわけではなく、それ以降に形成された岩石類に覆われたり貫かれているために、実際にはかなり限られた地域にだけ分布する。変成岩類は総称して「飛騨片麻岩類」と呼ばれ、それらを形成した広域変成作用の時期についてはいくつかの見解があるが、おおよそ3億年~4億5000万年前(古生代石炭紀・シルル紀・デボン紀)と2億4000万年前ごろの少なくとも2回にわたり重複した変成作用で形成されたとされている。花崗岩類はこれまで「船津花崗岩類」と呼ばれ、1億8000万年前(中生代ジュラ紀)に飛騨外縁帯構成岩類の分布域にまで及ぶ範囲に一斉に貫入したことで飛騨片麻岩類に熱変成作用をもたらしたと考えられてきた。しかし、それらの中には古い年代を示す岩体もあり、一律に扱うことができないことがわかってきたため、それらの形成時期を少なくとも2期に分けて区別するようになった。変成岩類も花崗岩類も複数回におよぶ複雑な過程を経て形成されているために、すべての飛騨帯構成岩類を全域にわたって一定の基準で表現することはかなりむずかしいことから、ここではそれらを「飛騨変成岩類」、「飛騨花崗岩類」と呼び、それぞれを6種類と10種類の岩相に区分することで表現する。そのため1つの岩相で示される岩石の中にも別の変成・深成作用で形成された岩石が含まれている場合もある。
跡津川断層
跡津川断層は、富山県の立山付近から南西へ向かって、飛騨市神岡町、宮川町、河合町を通り抜け、白川村の天生(あもう)峠付近までの全長約60kmにも及ぶ大断層であり、岐阜県における大規模な活断層系である阿寺断層系や根尾谷断層系などとともに日本を代表する活断層系の一つである。人工衛星画像でもその直線状の谷地形が明瞭に識別でき、大きく見ると一本の断層線として示されるが、実際には数本の断層が平行して走っていたり、枝分かれしたりしている。河川流路の折れ曲がりや断層崖などの断層地形が各所に残り、断層上のくぼ地には池ヶ原湿原や天生湿原のような湿原が形成されている。この断層は40万~70万年くらい前から活動を始めたとされているが、詳しいことはまだわかっていない。江戸時代末期の1858(安政5)年に起きた飛越地震は、跡津川断層が動いたことで起きたもので、断層沿いに多大な被害をもたらした。
池ヶ原湿原
飛騨市宮川町の東部にあり、30~40万株ものミズバショウが咲くことで知られている湿原である。跡津川断層の上にできたくぼ地にあたり、約7000年前からここで池と湿原の状態が繰り返されていたことが湿原に堆積した地層からわかっている。全長約60kmを越える跡津川断層はほとんど1本の断層線で示されるが、この付近では明確に2本に分かれて平行に走り、湿原はそれらを跨ぐように広がっている。断層線に挟まれる位置に丸山と呼ばれる小山があり、1858(安政5)年に飛越地震を起した際にできたとされている。湿原から北に流れ出る洞谷と南西に流れ出る菅沼谷は跡津川断層をはさんで約2km離れているが、もともとはまっすぐつながっていた流路が繰り返される右横ずれの運動でずれて分かれていったものである。
地質年代