地名 苗木城跡 なえぎじょうあと
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場所 中津川市苗木
指定等 国指定史跡
概要    木曽川を挟んで中津川市の市街地対岸にそびえる城山(標高432m)に築かれた山城跡で、苗木花崗岩の岩山の上を利用して天然の巨岩を囲いながら石垣が積まれるなど、自然の地形を有効に生かした築城の特徴がみられる。築城時期は不明であり、戦国時代以降から江戸時代を通じて遠山氏が城主として治めた城であるが、明治維新で建物は取り壊され、現在は石垣だけが残されている。城跡からはすばらしい展望が広がり、とりわけ木曽川を眼下にして恵那山の山塊を望む雄大な眺望が堪能できる。
ジオ点描    城郭を築く最大の目的は防御施設としての役割であろう。攻撃に対処する手立てとしてここでは岩山の頂部という地形的高所に城郭を設けていることになるが、この場合には城郭の土台となる岩山の南側が木曽川北岸の絶壁にあたることから、高所という要素もさることながら“堀”に相当する構造物もジオに基づく自然立地条件として利用していることになる。
文献
  • 写真 苗木城の石垣
    (撮影:鹿野勘次)
    写真 苗木城天守台
    (撮影:木澤慶和)
    苗木花崗岩
    中津川市苗木付近を中心に濃飛流紋岩の分布域の南部に広く分布し、中央部においても濃飛流紋岩の地下に広く伏在して分布する。濃飛流紋岩の少なくともNOHI-5までを貫き、NOHI-3、NOHI-4およびNOHI-5と火山-深成複合岩体を形成していると考えられている。塊状で、一部斑状の細粒~粗粒黒雲母花崗岩および角閃石含有黒雲母花崗岩からなり、放射線で黒~暗灰色になった石英を多く含み、脈状ないし晶洞状のペグマタイトに富むことを特徴とする。
    恵那山
    木曽山脈の最南端にある標高2191mの独立峰で、広範囲にわたる地域から船を伏せたような大きな山容を望むことができる。山体は濃飛流紋岩のNOHI-1を構成する恵那火山灰流シートなどからなり、その下半部は伊奈川花崗岩に貫かれており、山体の南側には美濃帯堆積岩類が分布している。恵那山から根の上高原などを含めた屏風山(びょうぶさん)山塊は屏風山断層や恵那山断層などの活断層により上昇隆起したブロックであり、その東部ほど隆起量が大きいために西部に比べて相対的に標高の高い山体が形成されている。



    地質年代