災害名 四ツ目川災害 よつめがわさいがい
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発生年月日 1932(昭7)年8月29日
主要被災地 中津川市街地
災害要因 四ツ目川上流域での集中豪雨
概要    恵那山(標高2,191m)の北隣にある前山(同1,351m)から中津川市街地へ向かって北流する四ツ目川沿いに発生した大規模な土石流災害であり、中津川市街地において死者2名、流失家屋73戸、埋没家屋94戸、半壊家屋203戸という被害が起きた。恵那山も前山も屏風山断層恵那山断層などの東西方向に延びる断層群によって上昇していった山塊である。この上昇地塊は急激に削られていき、その土砂は四ツ目川に限らず上昇地塊から北側へ向かって流れる河谷により常に下流へ運ばれているが、豪雨による大量の降水があると大量に下流域に運ばれて堆積して緩傾斜地を形成していく。中津川市街地はその上に広がっており、この緩斜面を流れ下る河川において大量の土砂運搬が集中して起こってしまった災害ということになる。
ジオ点描    地球上では海水面より上に出た大地は高低差を無くすように削られていく。大地が隆起すると高低差が大きくなるから、それを無くすために大きく削り込んでいく。豪雨などにより削られて運び出す水の力が増すと土砂は短時間で大量に下流に運ばれる。運ばれた先は緩傾斜地として人間の生活の場となるが、そこは土砂災害が引き起こされやすい立地環境であることも知っておく必要がある。
文献
  • 写真 恵那山の北側にある前山の北斜面を流れ下る四ツ目川と中津川市街地の位置
    (撮影:小井土由光)
    写真 準備中
    恵那山
    木曽山脈の最南端にある標高2191mの独立峰で、広範囲にわたる地域から船を伏せたような大きな山容を望むことができる。山体は濃飛流紋岩のNOHI-1を構成する恵那火山灰流シートなどからなり、その下半部は伊奈川花崗岩に貫かれており、山体の南側には美濃帯堆積岩類が分布している。恵那山から根の上高原などを含めた屏風山(びょうぶさん)山塊は屏風山断層や恵那山断層などの活断層により上昇隆起したブロックであり、その東部ほど隆起量が大きいために西部に比べて相対的に標高の高い山体が形成されている。
    屏風山断層
    屏風山断層は、阿寺断層系の南東端にあたる中津川市馬籠(まごめ)付近から、それに直交する東北東~西南西方向に瑞浪市南西部にかけて全長約32kmにわたり延びる。断層の南側には屏風山(標高794m)を最高峰とする標高750mほどの屏風山山塊が続き、その北側の急斜面が断層崖に相当しており、この壁が大地に作られた巨大な屏風のように見えることからその名がある。屏風山山塊を隆起させる縦ずれ運動は、南側の山塊が北側へ乗り上げる逆断層として起こり、そのため断層は山塊側から崩れてくる堆積物の下に埋もれてしまい、断層自体は限られた地点でしか観察できない。観察できる場所では、断層面が水平面から約60°の傾斜角で南へ向かって傾いており、その上側にある基盤の伊奈川花崗岩が下側にある瀬戸層群の土岐砂礫層の上に乗り上げている。なお、横ずれ運動もしており、断層を横切る河川流路に折れ曲がりがみられる。
    恵那山断層
    恵那山断層は、土岐市柿野付近から岐阜・長野県境の富士見台高原付近まで全長約43kmに及ぶ断層である。恵那市岩村町でのトレンチ調査によると、その最新活動は約7,600年~2,200年以前であったと推定されている。東濃地方の地形は、東北東~西南西方向に平行して走る恵那山断層と屏風山(びょうぶさん)断層の影響をおもに受けており、相対的に断層の南側が隆起し、北側が沈降しているため、それぞれの断層の北側には谷や盆地の連なる低地が形成されている。恵那山断層の北側には、中津川市阿木(あぎ)、恵那市岩村町、同山岡町、瑞浪市陶町(すえちょう)、そして土岐市柿野といった地域が低地をなして連なり、そこには瑞浪層群や瀬戸層群が分布し、とりわけ後者を構成する土岐口陶土層は丸原鉱山のような耐火粘土鉱床を断層沿いに形成している。断層南側の隆起山塊との間には断層崖として急峻な地形が作られ、それを巧みに利用した山城が岩村城跡にみられる。


    地質年代