根尾白谷の大崩壊
徳山白谷の大崩壊と同じ原因で、その東隣の根尾川支流根尾白谷源頭の東側尾根部で発生した大規模な崩壊で、推定崩壊土砂は107万m³ともいわれている。その大半は白谷中流部に残留したが、一部の土砂が下流に流れ、最も近い小倉集落において耕地の埋没や土木施設などに被害がでた。崩壊した山体を構成している岩石は美濃帯堆積岩類であり、相対的に浸食に強い石灰岩-緑色岩の複合岩体が標高の高い位置に、浸食に弱いメランジュが低い位置にそれぞれ分布しており、浸食に対する抵抗力の違いが重力不安定をもたらし崩壊に至ったと考えられている。ナンノ谷の大崩壊、徳山白谷の大崩壊とともに「揖斐三大崩壊」と呼ばれている。
美濃帯堆積岩類
美濃帯は、飛騨外縁帯の南側にあってかなり幅広く分布する地質帯で、岐阜県内でも広範囲にわたる地域を占める。そこは、古生代石炭紀から中生代白亜紀最前期にかけての時期にチャート・石灰岩・砂岩・泥岩・礫岩などの海底に堆積した堆積岩類と海底に噴出した緑色岩(玄武岩質火山岩類)でおもに構成されている。下図に示すように、海洋プレートの上に噴出した玄武岩質火山岩類は海底や火山島(海山)を形成して、その上にチャートや石灰岩・珪質泥岩などを徐々に堆積させながら大陸へ向かって年間数cmほどの速さで移動していく。海洋プレートは海溝部で大陸の下へ沈み込んでいくが、堆積物はいっしょに沈み込むことができず、はぎ取られたり、大陸側から運び込まれた砂岩・泥岩などとともに大陸側へ押し付けられ、混じり合って複合体(コンプレックス)を作りあげていく。こうした作用を付加作用といい、それにより形成された堆積物は付加体堆積物と呼ばれ、これまでそれらを総称して「美濃帯中・古生層」、「美濃帯中生層」、「美濃帯堆積岩コンプレックス」などといろいろな表現で呼ばれてきたが、ここではこれらを「美濃帯堆積岩類」と呼ぶ。それらは、それまで順に重なっていた地層が付加作用にともなって低角の断層を境にして屋根瓦のように繰り返して覆うように重なったり、複雑に混じりあったメランジュと呼ばれる地質体を構成し、整然とした地層として順番に連続して重なるようなことがほとんどない。そのため全域にわたり個々の地層名を付して表現することがむずかしいため、ここでは構成岩石の種類(岩相)によって表現する。これらの構成岩石は単独でも複数の組合せでもある程度の大きさを持つ地質体を形成しており、その大きさはcmオーダーの礫からkmオーダーの岩体までさまざまである。これらは岩相、形成時期、形成過程などの類似性から複数の地質ユニットに区分され、ユニット間は衝上断層で接することが多いが、その区分による表現はここでは用いない。
緑色岩(玄武岩質火山岩類)
美濃帯堆積岩類において、ペルム紀に海底に噴出して形成された火山島を作った岩石であり、枕状溶岩として産することもある。変質して緑色を帯びることが多いためこの名があり、かつては“輝緑凝灰岩”と呼ばれていたこともある。それらが海山を構成し、その上に形成されたサンゴ礁が石灰岩にあたることで、それらと密接にともなって産することが多い。ともに美濃帯堆積岩類において最も古い時期の岩石である。
ナンノ谷の大崩壊
揖斐川支流の坂内川右岸(西岸)ナンノ坂で発生した大規模な崩壊で、根尾白谷の大崩壊、徳山白谷の大崩壊とともに「揖斐三大崩壊」と呼ばれている。崩壊地には美濃帯堆積岩類が分布し、それらの主要な岩相や形成年代の違いにより区分されている地質ユニットが衝上断層によって境界をなしている。それによる斜面の弱体化とともに、浸食に対する抵抗力が異なる地質体が境していることで重力不安定がもたらされ、これらが複合的に作用して半円状の高さ約60m、幅約300mの滑落崖が形成された。153万m³の推定崩壊土砂が坂内川を堰きとめ、幅36~109m、長さ1,500mに及ぶ天然ダムが形成された。このダムは崩壊から6日後に決壊し、死者4名、流出家屋23戸などの大きな災害をもたらした。
地質年代