災害名 昭和47年7月豪雨災害 -
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発生年月日 1972(昭47)年7月3~13日
主要被災地 旧明智町・旧瑞浪市地域
災害要因 梅雨前線の活動による集中豪雨
概要    梅雨前線の位置によってほぼ全国的に長期にわたって広範囲に発生した豪雨災害であり、それらのうち中部地方ではとくに岐阜・愛知県境の山間部地域において多数の土砂災害が発生した。岐阜県側においては広く分布する伊奈川花崗岩においていろいろな程度にマサ化した地域を中心に局地的な集中豪雨により各所で崩壊して土砂災害をもたらした。死者27名に及ぶ被害があり、東濃鉄道駄知線が橋梁流出などにより全線廃止となった。
ジオ点描 【恵南豪雨災害と共通】 花崗岩の分布地域におけるマサ化はどこでも同じように進行していいはずであるが、実際にはその進行具合にはかなり差異がある。これは、過去に当時の地表面全体にわたって著しくマサ化を受けたが、その後それらの多くは削られてしまい、現在はその削られ残りが分布しているからである。そこは崩れやすいままであるから、土砂災害をもたらす原因となりやすい。
文献
  • 写真 土岐市泉町久尻において流出した東濃鉄道旧駄知線の橋梁があった地点(左側が土岐川に架かる永久橋で、そのすぐ下流側にあった)
    (撮影:小井土由光)
    写真 流出した橋梁地点から北へ土岐駅方面へ向かう旧駄知線の線路跡(現在は自転車専用道として使われている)
    (撮影:小井土由光)
    伊奈川花崗岩
    中部地方の領家帯を中心に美濃帯南部も含めてきわめて広い範囲に分布する巨大な花崗岩体であり、そのうち岐阜県内には濃飛流紋岩の南縁部においてそれとの接触部にあたる浅部相が広く分布し、多くの地域でNOHI-1およびNOHI-2を貫いており、それらと火山-深成複合岩体を形成していると考えられている。ただし、県南東縁の上村(かみむら)川流域では領家帯構成岩類の天竜峡花崗岩の周辺において三都橋花崗岩と呼ばれている深部相が分布するが、ここでは区別せずに扱っている。斑状あるいは塊状の粗粒角閃石黒雲母トーナル岩~花崗岩からなる。この花崗岩は、古典的な「地向斜-造山運動」論において造山帯中核部の地下深部で形成された花崗岩体の典型例と考えられていたが、1960年代に地表に噴出・堆積した濃飛流紋岩を貫いていることが発見され、地表近くのきわめて浅所までマグマとして上昇してきたことになり、それまでの火成活動史の考えを根底から覆えし、塗り替えることとなった。
    マサ化
    地下で固結した花崗岩が地表に露出したことで気温の変化により岩石の表面で膨張収縮をわずかながらでも繰り返し、岩石中の鉱物が互いに接している完晶質岩であるために膨張率の違いが鉱物単位で歪みを生じ、ばらばらにされて砂状に破壊されていく現象である。もともとは「真砂土(まさど・まさつち)」という園芸用土壌の用語として使われているが、それをもたらす風化作用に拡大して使われるようになっている。



    地質年代